すべての配達が終わったのは8時前のこと。持戻14個に、残が1個。

「僕が、ある程度のスピードで配達できるのも、コースの道を全部知っていて、お客さんの家族構成や行動パターンまで頭に入っているからなんです。同じ営業所内のコースなら、交代で走ることもあるので大丈夫ですが、これが隣の支店に飛ばされると、これまでの蓄積が全部ゼロになるんです。

 ドライバーにとって、異動になるということは、まったく違う会社で一からはじめるのと同じで、最初はスピードが半分以下に落ちることもあります。だから、人事権を持った支社長などの上司には、言いたいことも言えない状態になってしまいます。異動させられたくないから、少々の理不尽なことには目をつぶろう、と。サービス残業代の問題の裏には、会社側がそんなドライバーの心理に付け込んだ面があると思っているんです」

 宅急便センターに帰る道すがら、私を近くの駅まで乗せていってくれるという。午後8時すぎに駅に着き、私は丁重に礼を述べて、小谷と別れた。

宅配業者はアマゾンのための
ボランティア企業じゃない

 アマゾンが2000年に日本で事業を開始したとき、配送業者は日本通運で、ペリカン便(現在、ゆうパックに吸収)を使っていた。千葉県の市川塩浜にある物流センター1カ所で、業務を開始したときのペリカン便の運賃は、1個300円。ほとんど発送個数もなかった当時のアマゾンが、これだけ安い運賃を手にすることができたのは、日本通運に物流センター業務と宅配業務を一緒に任せたためだ。

 それが、09年に佐川急便に切り替えるときに、300円から270円に引き下げられた。このころの佐川には、企業発個人宅向けの荷物を取り込むことで、業界のシェアを拡大しようとする意図があった。当時の佐川の担当者は、「清水の舞台から飛び降りるつもりで、アマゾンの仕事を請け負った。それぐらい運賃は安かった」と話している。

 しかし、採算が上がらないアマゾンを抱えたため、佐川急便の業績は低迷する。売上高と取扱個数は増加するが、利益が上がらないという“豊作貧乏”の状態に陥る。そのため、12年以降、それまでの個数重視から、採算重視へと舵を切る。そして、最大手の荷主であるアマゾンとの値上げ交渉に臨んだ。

 アマゾンとの交渉を担当していた佐川の営業マンはこう話す。