「若者=リベラル」が当然だった時代

 戦後日本において、「リベラル」であることは、長らく若者にとって特別な政治的選択ではなかった。むしろ、それは空気のように自明であり、学校でも当たり前のように扱われ、疑う対象ですらなかった。

 敗戦直後、日本はアメリカ主導の占領下に置かれ、民主主義・平和主義・個人の自由といった価値観が、旧体制への反省とともに一気に流入した。軍国主義への強烈な否定とセットで提示されたアメリカ型民主主義は、当時の日本社会にとってきわめて魅力的に映ったのである。

 超法規的な過程で制定された日本国憲法は、その成立経緯すらまともに検証されないまま「守るべき絶対的規範」として教えられた。この価値観は、教育を通じて徹底的に内面化され、拡大再生産を繰り返した。とりわけ戦争体験のない戦後世代にとって、日本国憲法は、その正当性を疑うことを許されない信仰に近い存在だったと言っても過言ではない。

 当時、憲法改正を口にすることは、「戦前への回帰」「軍国主義の復活」と結びつけられ、強いタブーとして扱われるようになった。改憲を主張することは、理性的な政策論争ではなく、道徳的に危険な言動とみなされたのである。

 若者がリベラル思想を受け入れたのは、戦前戦中の日本からの「変革」だったからである。社会が大きく変わることに、若者は戦前の「国体を守る」という姿勢から抜け出した日本に新たな可能性を感じた。

 一方、冷戦構造や周辺国の軍事的現実を直視していた自民党は、日本国憲法が現実の安全保障環境と乖離していることから、早い段階から改憲の必要性を唱えた。だが、護憲を道徳的優位に置く戦後政治文化の中で、その試みは挫折を繰り返した。

 転機が訪れたのは、1990年代後半以降である。

 インターネットの普及によって、情報の流通がマスメディア中心の構造から大きく変化した。戦後民主主義や護憲思想が「唯一の解」として語られる時代は終わり、若者は多様な視点から日本の歴史や安全保障を見るようになった。

 2000年代に入ると、改憲を主張することは社会的タブーではなくなった。むしろ、「何も変えようとしない護憲派」に対して、「現実に向き合わず、行動しない人たち」というイメージすら広がり始めた。

 かつては自明だった「若者=リベラル」という構図は、こうして急速に崩れていく。

 これはリベラル派が言うような「若者の右傾化」ではない。リベラル派が現実への認識を変えなかったことが、現実的になった若者との断絶を生んだに過ぎない。

 そういった日本のリベラルを生んだきっかけが、共産党すら「護憲」に回るほどの理想主義的で革新寄りの日本国憲法だったと言っていいだろう。