上司や他部署の上役など、自分に影響力をもつ権力者に対して、礼儀正しさを超えて、あからさまなおべっかを使ってもち上げるようだと、怪しいとみなさざるを得ない。
好意的、あるいはこちらを尊重するていねいな態度を取っている場合も、もしかするとこちらに「利用価値がある」と思っているからかもしれない。いずれ利用価値がないと判断したときには、打って変わって冷淡な態度でぞんざいな扱いをしてくるかもしれない。そこを見抜くには、複数の場面で観察する必要がある。
あるひとつの場面で、相手を尊重する気配りのできる人だなと感じても、それはそこにいる人が自分に影響力をもつ権力者で、その人から好意的にみられる方が有利だといった計算のもとに動いているのかもしれない。
そのような危険な裏表人間に痛い目に遭わされたという人もいる。
「とても親切にしてくれたことがあり、いい人だなって思ってたんです。それで、私が左遷されて落ち込んでいるとき、苦しい胸の内を話したんです。そうしたら、『それは身から出たさびじゃないですか。今さら嘆いてもしようがないでしょう』っていう感じで、以前と違って突き放すような冷淡な反応をされ、さらには私が自分の対処能力の低さで周囲に負担をかけていることを自覚せずに、冷遇されているみたいに勘違いしている、という噂を流されたんです。それで、これまで親切だったのは私が影響力ある管理職だったためで、そういった立場を失った私には親切にする価値がないとみなされているんだってわかったんです。そんな人物を信頼してたなんて、自分はなんて愚かなんだって自己嫌悪しました」
このような裏表人間を見抜けなかったのも、複数の場における態度を観察する機会がなかったからと言える。
わざとらしいことも平気で言える
裏表のある人物は、人に取り入るのがとてもうまい。この人に気に入られると得すると思えば、どんなわざとらしいお世辞でも平気で口にすることができる。
だれか他の人にあからさまに取り入る様子を目撃すれば、「警戒すべき人物かもしれない」と気づくことができる。しかし、自分がそのターゲットになっている場合は、なかなか気づきにくい。
それは、だれにも自己愛があるからだ。ほめられると、第三者なら「そこまでほめるようなことではないだろうに」と思うことでも、なぜか素直に受け入れてしまう。わざとらしさに意識が向かわず、うれしくなったり照れたり有頂天になったりしてしまう。
わざとらしい持ち上げ方が平気でできるのも、だれもが自己愛によって素直に受け入れ、良い気持ちになることを経験的に知っているからだ。







