稲生の戦い――兵力差を覆した信長の逆転劇

 こうして弘治2年(1556年)、兄と弟の間でついに武力衝突が起こりました。これが稲生の戦いです。

 柴田勝家や林通具といった有力家臣が信勝側に立ち、信長を廃して信勝を当主に据えようとしました。信長方の兵が約700人だったのに対し、信勝方は約1700人もいたといわれており、兵力的には信長方が圧倒的に不利でした。柴田勝家が猛攻し、信長に迫ったときに、信長の周囲には40人ほどの兵しかいなかったとも伝えられています。

 しかし、森可成や織田信房の奮戦、そして信長自身の激しい叱咤によって、戦況は一変します。さらに信長自身が林通具を討ち取ると形勢は逆転、信勝方は多数の戦死者を出して敗走しました。

 この稲生の戦いの勝利によって、信長は名実ともに織田弾正忠家の当主としての地位を確立します。一方でこの敗北は、信勝の運命を大きく狂わせることになりました。

織田信長(右)は、豊臣秀長(演:仲野太賀)に鵜沼城城主・大澤次郎左衛門を斬れと命じる (C)NHK織田信長(右)は、豊臣秀長(左、演:仲野太賀)に鵜沼城城主・大澤次郎左衛門を斬れと命じる (C)NHK 拡大画像表示

 次ページの動画ではこのほか、
 ・稲生の戦い後の赦免と、母・土田御前の存在
 ・信勝の不穏な動き――斎藤義龍・岩倉織田家との関係
 ・『信長公記』が描く信勝暗殺の経緯

などについてお話ししています。気になった方は、動画をご覧ください。

担当編集より:
先週は衆議院選挙で大河ドラマの放送がお休みだったため、本連載はお休みしましたが、「かしまし歴史チャンネル」では「戦国時代の戦は、実際にはどんなものだったのか?」という豆知識動画がアップされていました。次ページ2本目に掲載していますので、こちらの動画も合わせてご覧ください。
 ・早鐘・兵糧・苅田って何?
 ・戦国時代の戦いで活躍したのは、刀や槍よりも、むしろクワやカマだった……?