子どもたちはこのシリーズが大好きなのですが、ローザ・パークス(編集部注/アメリカ合衆国の公民権運動活動家)の巻を読んだとき、子どもたちは初めて人種差別の概念に出合いました。

 彼女が黒人の権利のために戦ったことについて書かれたその本を子どもたちに読み始めて以来、私の下の娘は「私は肌の色が黒くなくて嬉しい」と言うようになりました。理由を尋ねると、「アメリカで嫌な扱いを受けなくて済むから」と答えました。彼女は、肌の色が濃い友人に「あなたがドイツ人でよかったけど、もしアメリカに行かなきゃならないなら、肌の色が濃いのはかわいそうだね」とさえ言いました。

 もちろん彼女は、肌の色が濃い人々に対して人種差別的な思いを持っているわけではありません。そうではなく、アメリカでは肌の色が濃いことが何らかの不利益をもたらすという考え方を、本を通じて吸収してしまったのです。

 本を読んだことが、彼女のWEを広げるのではなく、むしろ分断を強める結果となりました。というのも、肌の色というまったく非合理的な理由で人が差別されるという事実を知り、彼女は大きな衝撃を受けたからです。

 これは広範囲で見られる現象で、新しい形の部族主義だと思います。私たちは、子どもたちをよりインクルーシブな考え方へと導く代わりに、排除を強化してしまうことがよくあるのです。この傾向は現在の地政学的な状況と密接に関連しており、克服すべきものです。道徳教育は、現在の境界を超えて、コミュニティ意識を広げることを目的とすべきです。

 もちろん、何でもかんでも無差別に受け入れるということではありません。むしろ、この拡大は段階的に、一歩一歩進めていく必要があります。

一人ひとりの小さな行動が
やがて世界を変えていく

――私たちの一人ひとりが「WEターン」(編集部注/出口康夫が提唱する哲学システム。すべての行動は私1人ではできず、私を取り巻く他の人やものによって支えられているという主張)することで社会は変わるという展望は、希望に満ちています。

 ですが、一般人からすると、自分1人が考え方を変えたところで世界は何も変わらないのでは……とも考えてしまいます。自分のように小さな存在の小さなアクションで、この大きな絶望には立ち向かえない……と。