何かしてもらった相手へのお返しを
しなければいけないという負担感
同様の問題は、他者に何かをしてもらったときに経験する負担感、さらには被支配感の観点からも指摘できます。
社会の中には、何かしてもらったら、お返しをしないといけないという暗黙のルールがあります。これは「返報性」とよばれているルールで、社会生活において強い効果を持ちます。
何かしてもらったのにお返しができないとき、負担感や罪悪感を経験することがありますよね。これは返報性のルールに反することから生じる感情です。
互いによく理解し合っている親しい関係なら、持ちつ持たれつですし、いずれ、自分も何かしてあげる機会もありそうなので、お返しがすぐにできないからといって、さほど問題にはならないでしょう。
しかし、そうではないとき、また、将来的にもお返しをできる見込みが薄そうなとき、私たちは、これらのネガティブな感情を経験します。
さて、これを「不適切な配慮」という事例に当てはめると、どうなるでしょうか。何かしてもらったのに、それがありがたくないという場面です。
「してもらった」がゆえに、負担感や罪悪感を経験するのですが、少しでもそれらを打ち消すために、感謝を義務的に表明する必要を感じる人も多いでしょう。感謝の表明が、お返しの代わりを(完全ではないにせよ)果たすからです。
ただ、このように感謝の必要を押しつけられてしまうことは、「自分が下の立場にいる」という感覚を経験することになってしまいます。
なぜなら感謝の表明をするかどうかについて、自分で自由に決められないところに追い込まれ、暗黙裡に他者からコントロールされているかのように感じてしまうからです。
人は、自分の選択や行動を自ら決めたいという自己決定欲求を持ちますが、過剰な干渉や支援といった不適切な配慮は、「あなたはこうするべきだ、こうあるべきだ」という考えの押しつけを通して、自己決定の自由を奪う可能性があることにも注意が必要です。
また、そもそも支援者と被支援者の間には、「支援者が被支援者より優位な立場にある」という関係が生まれやすいものです。
したがって、支援が不要であるのに過干渉される場合、支配される対象になっているような感覚が生じたり、自分が劣位に置かれてしまう状況に対する不満感が生じるかもしれません。
このような感覚がもたらす理不尽さはストレスフルですので、他者に対するネガティブな感情にとどまらず、自分自身の精神的健康にも望ましくない影響が出るかもしれません。







