オノ・ヨーコや
白洲正子も卒業生
卒業生で国際的な著名人は、芸術家、音楽家で平和運動家でもあるオノ・ヨーコだ。学習院女子中・高校を経て学習院大哲学科を中退し、米国のサラ・ローレンス大に進み前衛芸術家になった。
1969年にビートルズの一員であるジョン・レノン(英リバプール・クオリーバンク校卒)と結婚した。1980年にジョンが射殺された後も、世界各地で個展を開き、「愛と平和」のメッセージを発信し続けている。レノンはかつてオノのことを「誰もが彼女の名前を知っているが、誰も彼女のしていることを知らない」と語っている。
大正・昭和期に、日韓・日中の政略の波にのまれた卒業生がいた。
元皇族の梨本宮家に生まれた李方子(まさこ)は1920年に、旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李王垠(東京・国立陸軍中央幼年学校卒)の妃となった。日韓併合後の「内鮮一体」を目的とする国際政略結婚だった。
愛新覚羅浩は侯爵嵯峨家の生まれで、1937年に満州国皇帝(清朝第12代皇帝宣統帝)愛新覚羅溥儀の実弟・溥傑(旧制学習院高等科卒)と結婚した。第2次世界大戦に翻弄(ほんろう)され「流転の王妃」といわれた。
溥傑・浩の長女慧生は、「天城山心中」で死亡した女性として知られる。学習院一筋で、学習院大文学部国文科に進んだ。同じ学科の大久保武道(青森県立八戸高校卒)と交際、2年生の1957年12月に伊豆・天城山中で大久保と共に死体となって発見された。学習院関係者の間では、「大久保による無理心中」との見方が支配的だ。
歌人で「大正三美人」の一人とされる柳原白蓮は、明治時代に華族女学校に通っていたが中退し、23歳で東京・旧制私立東洋英和女学校(現東洋英和女学院中・高等部)に編入学した。
九州一の炭鉱王で政治家だった男と政略的再婚をしたが、社会運動家、新聞記者だった宮崎龍介(旧制・東京・私立郁文館中学・現郁文館中高校卒)と道ならぬ恋に落ちた。
夫との公開絶縁状を新聞に発表したため、大正時代の一大スキャンダルとして話題になり、「白蓮事件」といわれた。しかし後年、「恋に生きた女性」として称賛された。
随筆家、古美術研究家の白洲正子は、むしろ1998年の没後に人気が上昇し、自著文庫の再刊やテレビ番組で何度も取り上げられている。
旧制の女子学習院から米国に留学し、東北電力会長などに就いた実業家の白洲次郎(兵庫県立旧制第一神戸中学・現神戸高校卒)と結婚した。能や骨董に造詣が深く、古典美に興味を持つ人たちのカリスマ的な存在になった。
鷹司誓玉は尊称「尼公上人」で、長野市にある浄土宗大本山善光寺大本願の第121世法主(住職)を務めている。旧制学習院卒で、慶応大文学部(通信教育課程)、大谷大大学院などで日本史や中国仏教などを研究した。1929年生まれだ。







