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2025年7月7日の「抗日戦争勝利80周年」に際し、習近平は中国共産党の功績を改めて強調した。しかし、事実を追っていくと、中国で語られる歴史認識と異なる面が見えてくる。毛沢東が「日本に感謝する」と語った意味とは何か。中国共産党がひた隠す不都合な真実を、対中外交を担ってきた実務家の2人が語る。※本稿は、笹川平和財団常務理事の兼原信克、立命館大学教授の垂 秀夫『中国共産党が語れない日中近現代史』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
盧溝橋事件を機に
急速に高まる日中間の緊張
垂秀夫(以下、垂):盧溝橋事件(編集部注/1937年7月に盧溝橋で起きた、日本軍と中国国民革命軍との衝突。支那事変のきっかとなる)発生後、陸軍が華北で作戦を拡大する一方、海軍も華中(上海方面)で大規模な戦闘を行い、盧溝橋事件に端を発した日中戦闘は上海にも飛び火しました。いわゆる第二次上海事変ですね。
兼原信克(以下、兼原):通州事件(編集部注/通州で暮らす約250名の日本人居留者が中国兵によって殺害された事件。盧溝橋事件を機に日中関係が悪化する中で起こった衝突)の2週間後が上海事変です。アヘン戦争から100年近く経って、中国も民族意識が高まっているから、雪崩を打つようにして事態が進んでいく。
この時、蒋介石は、租界が立ち並ぶ国際都市、上海で日本と勝負しようと思ってドイツ人の技師を呼んでがちがちに要塞を作って準備していました。上海には、数千の海軍陸戦隊しかいない。しかし、米内光政の世界初の渡海爆撃で、蒋介石軍は腰が砕けて、一目散に南京に逃げていきます。







