若い人に伝えたいのは「失敗しても殺されるわけじゃない」
――これからの若者に伝えたいことはありますか?
高尾:ものづくりをしていたエンジニアとしての自分としては……まさか自分がつくったものが、こうやって世の中を大きく変えるものになったとは。意外と自分ってすごいんだな、と自分を褒めてあげたいっていうのが実感です(笑)。四半世紀過ぎても、こうやって取材をしていただいたりしているというのが、その証拠なんだろうなと思います。
これからいろんなことを考えられる学生さんとか、若い方に言いたいのは「失敗しても殺されるわけじゃないから、チャレンジはどんどんやったほうがいい」ということです。チャレンジして、失敗した中で学ぶことも多い。
今の日本の環境は、それが許される状況にだんだん変わっていっていますよね。「失敗したら自分の人生は終わり」みたいなことが、昔ほどはない。再生ができるし、リボーンできる。そういう意気込みで、軽い気持ちでトライしたほうがいいんじゃないかなと思います。
→前編【「女子高生のかばんの中身」でひらめいた!「写メール」生みの親が語る“意外な誕生秘話”】を読む
高尾慶二
たかおけいじ/高知酒造株式会社 取締役、一般社団法人リーマンサットスペーシズ アドバイザー
国立佐世保工業高等専門学校(高専)電気工学科卒、国立豊橋技術科学大学(院)電気・電子工学専攻修了。1984年にマツダ入社。電装品、カーオーディオやカーナビの商品開発及び衛星通信の研究開発を担当。業務の傍ら、マツダ初の第一級無線技術士&第一種伝送交換主任技術者の国家資格を取得。1992年、東京デジタルホン(J-PHONE)へ出向し、カメラ付きケータイ(写メール)や電池残量ピクト、メール着信ピクトなど、現在グローバルでデファクトスタンダードとなっている数多くのサービスや機能を生み出した。その後、モルフォ、富士ソフト、みらかホールディングスなどを経て、現在は高知酒造の取締役。
たかおけいじ/高知酒造株式会社 取締役、一般社団法人リーマンサットスペーシズ アドバイザー
国立佐世保工業高等専門学校(高専)電気工学科卒、国立豊橋技術科学大学(院)電気・電子工学専攻修了。1984年にマツダ入社。電装品、カーオーディオやカーナビの商品開発及び衛星通信の研究開発を担当。業務の傍ら、マツダ初の第一級無線技術士&第一種伝送交換主任技術者の国家資格を取得。1992年、東京デジタルホン(J-PHONE)へ出向し、カメラ付きケータイ(写メール)や電池残量ピクト、メール着信ピクトなど、現在グローバルでデファクトスタンダードとなっている数多くのサービスや機能を生み出した。その後、モルフォ、富士ソフト、みらかホールディングスなどを経て、現在は高知酒造の取締役。
遠藤 諭
えんどうさとし/ZEN大学コンテンツ産業史アーカイブ研究センター(HARC)研究員
1956年生まれ。ZEN大学客員教授(IT産業史)、『MITテクノロジーレビュー』日本版アドバイザー。1985年に株式会社アスキー入社、『月刊アスキー』編集長。株式会社アスキー取締役、角川アスキー総合研究所主席研究員などを歴任。著書に日本のエレクトロニクスのパイオニアに取材した『計算機屋かく戦えり』、『ゼネラルパーパステクノロジー』(野口悠紀雄氏との共著)など。
えんどうさとし/ZEN大学コンテンツ産業史アーカイブ研究センター(HARC)研究員
1956年生まれ。ZEN大学客員教授(IT産業史)、『MITテクノロジーレビュー』日本版アドバイザー。1985年に株式会社アスキー入社、『月刊アスキー』編集長。株式会社アスキー取締役、角川アスキー総合研究所主席研究員などを歴任。著書に日本のエレクトロニクスのパイオニアに取材した『計算機屋かく戦えり』、『ゼネラルパーパステクノロジー』(野口悠紀雄氏との共著)など。







