そんな疑う気持ちのまま入った刑務所内は、想像以上に穏やかなものだった。囚人たちが公園のような芝生で作業をしたり、家族と面会する場面が見られた。私たちは囚人たちとひと目で区別がつくように全身黒の服で統一していたが、肝心のガブリエルだけがオレンジ色の服を着ていて、少し浮いていた。

 黒い服は前日までに刑務所側から指定されていたものだったのだが、「絶対に守れ」と言っていた本人が洗濯の都合だといって着てこなかったのだ。しっかりしているようで、どうも少し抜けている。刑務所側からも特に何も言われなかったので、そのまま取材は続行することとなった。

メキシコの腐敗の根深さを
象徴する「エル・チャポ脱獄」

 ここであらためてエル・チャポ脱獄について情報を整理しておきたい。

 エル・チャポことホアキン・グスマン。メキシコ麻薬戦争の象徴とも言える男だが、彼が世界的な「伝説」になったのは、シナロア・カルテルを率いたこと以上に、刑務所を抜け出したことによる部分が大きい。その脱獄は二度あるが、一回目は単純ながらも見事だった。

 舞台となったのが、今いるプエンテ・グランデ刑務所。メキシコ・ハリスコ州にあるこの施設は「厳重な警備」を売りにしていたが、実態は違った。中にいるのは看守ではなく、札束で雇われた「従業員」にすぎない。エル・チャポは投獄された1995年から着々と根回しを進め、刑務所のルールそのものを変えていった。

 まず金だ。賄賂で看守を買い、刑務所長すら味方につける。携帯電話の自由な使用、グルメな食事、女性の訪問――。メキシコの刑務所では金があればほぼ何でも手に入るが、エル・チャポのレベルは違った。刑務所内の頂点に立ち、外部とも自由に連絡を取れる環境を築いた。

 そして2001年1月19日、脱獄計画が実行に移される。

 方法は極めて単純。洗濯用のカートに隠れるだけ。だが、ポイントはそこではない。誰もカートをチェックしなかったのだ。エル・チャポを運び出したのは、刑務所の清掃員フランシスコ・“エル・チロ”・カマリロ。この男もすでに買収済みだった。