当時の奥尻島の津波対策は、「防潮堤によって町を守る」という発想で行われていました。大きな港がある中心地には緊急時にすぐに避難できるように高さ7メートルの人工地盤がつくられ、それ以外の海沿いの集落がある場所には高さ10メートル前後の防潮堤を設置していました。この防潮堤による巨大な壁は総延長で14キロメートルほどになるので、島がまるで巨大な要塞のようでした。
これだけの備えをするにはかなりのお金が必要で、復興や津波対策には約930億円がかけられていました。小さな島にしては非常に大きな金額がかけられていましたが、これは自然災害が少ない時期だからできたことです。義援金だけで約190億円集まったということで、これを活用しながら手厚い対策を打つことができたと聞きました。
防災対策と生活の便利さは
トレードオフになる
それでも予算には限りがあるので、地域によって差がありました。防潮堤をつくるときに、陸側に盛り土をしてその上に家を建てる場所がある一方で、費用を抑えるために盛り土をせずに防潮堤だけを設けた場所もあるというふうにです。
後者の場所に住んでいる人たちは、家から直接海の様子が見えなくなったり、海に行くときに巨大な防潮堤を越えていかなければならなかったので、「安全になったけど不便になった」と話していました。立派な防潮堤は、人々に安心を与えると同時に、生活スタイルを大きく変える要因にもなっていました。
こうした不満の声は、被災からすでに十数年経ってからの訪問だったから聞けたものです。被災した直後は恐怖が大きく、徹底した対策を求めたくなりますが、記憶が薄れて生活スタイルの変化について考える余裕が出てくると、徹底した対策による不便さが気になるようです。これも3現によって得ることができた貴重な教訓でした。
そのことを東日本大震災で被災した三陸のある町を3現の調査で訪れたとき、現地の人に話したことがありました。ちょうど町が復興のあり方について話し合っているときで、参考になるのではないかと思ってあえて伝えました。







