しかし、責任者の方はひどく困惑していました。被災した直後は手厚い対策を期待する声が大きく、そのことによる不便さのことは考えられない、考えたくないという感じでした。そんな雰囲気の中で、この教訓話は耳障りなものでしかなかったようで、私もそれ以上のことは言いませんでした。

 これもまた貴重な経験になりました。人はいつも合理的な判断ができるわけではありません。考え方や感じ方は、ときとともに変わるので、あるときに正解だったことがいつまでもそう受け止められるとはかぎりません。なにかを決めるときには、心の経年変化まで考慮する必要がありますが、それは簡単ではないというのが、このときに学んだことです。

防災の費用対効果を重視すると
どこかで「妥協」が必要になる

 自然災害で大きな被害が生じるのは、予想していなかった問題が起こったときです。あらかじめ数のうちに入れていないので、いざことが起こったときの被害は目も当てられないくらいに大きくなります。

 東日本大震災のときがそうでした。大地震によって発生した津波が防災計画が前提としていたのを大きく超えていたものだったので、東北地方を中心とする太平洋側の沿岸地域が甚大な被害を受けました。

 こうしたことが起こった直後は、北海道南西沖地震後の奥尻島のように対策をより強化したくなります。実際に被災した人たちの中には、そのときの恐怖が強烈に残っているので、そう考えるのは当然です。ところが、手厚い対策をすべて実現するには、相応のお金がかかります。望んだことをすべて実現するのが容易でないのが辛いところです。

 災害対策ではこのようにコストが必ず問題になります。より大規模な災害に備えようとすると、それだけ費用が嵩みますが、無尽蔵にお金を使うことはできないので、費用対効果を考えながらどこかのレベルで妥協しているのが現実です。どこでも当たり前にやられていることですが、そこに大きな失敗の種が潜みつつ成長していることがよくあります。