「四日午後一時頃大森町北原三十五杉崎運送店方入川安蔵(四二)同〆蔵(三七)の両名は二日より開場されている大森競馬場に馬を一匹曳き大森八幡海岸迄行くと馬は活動写真の旗に驚にて暴れ出しその付近に遊んで居た八幡八三神谷龍造二男義一(一二)四男多吉(六つ)両名を蹄に掛け両人の頭部面部等に重傷せしめた(後略)」。
北原は今の大田区大森北3丁目付近。八幡海岸の活動写真というのは、おそらくその近くにあった「豊年館」という映画館だろう。大森海岸埋立地の競馬場は、現・同区大森本町2丁目あたりに作られたのではないか。それにしても、杉崎の持ち馬が騒動を起こすとは!
地方競馬が乱立する中で
多額の経費流用が問題に
同書より転載
同年7月、競馬法施行により公認競馬(今の中央競馬)での馬券発売が解禁されると、にわかに競馬ブームが巻き起こった。馬匹の改良、増産に資するためとして、全国各地に競馬場が誕生。
しかし、公認以外の競馬場では馬券を直接売りさばくことが許されなかったので、優勝馬投票券付きの入場券を発売して客を呼んだ。入場券に勝馬投票券が付いていて、それに現金を添えて投票し、的中すれば景品(商品券)をもらえるという仕組み。最も盛んだったのは神奈川県で、大正末期には藤沢、大船、平塚、小田原、松田、横須賀、厚木、鶴見の計8カ所で競馬が行われている。
急増した地方競馬場は、たちまち乱立状態に陥った。そこで政府は、1927(昭和2)年8月、地方競馬規則を公布。各道府県内の競馬場数を制限し、主催者を原則として「畜産組合連合会」に限定した。第1回羽田競馬の開催はその直前。先の大森同様、ここでも杉崎は、規則公布に先駆けて開催の実績を作っておこうと先手を打ったようだ。
記念すべき最初の競馬は無事終了する。ところが、後が大変だった。開催経費支払などに充てるための1万円もの大金(東京市電=路面電車に7銭で乗れた時代)を、主催を補佐した団体の組合長らが流用してしまったのだ。







