野田氏も「話はめちゃくちゃです」

 とはいえ、この祝辞はAI論ではなく、東大生への訓話というかメッセージである。その意味するところは、「知識偏重になるな」「頭でっかちになるな」「身体感覚と人間性を忘れるな」「若さを大事にしろ」ということであり、メッセージは十分効果的に伝わっている。野田氏自身も「話はめちゃくちゃです」と断っており、厳密な論証を意図していないことは明らかだ。

 しかし同時にこの祝辞は、AI時代にしばしば現れる「それでも人間には特別なものがある」という語りの極めて典型的な一例として読むことができる。身体、心、若さ、創作といったキーワードを通じて人間の固有性を再確認しようとする欲望は、野田氏一人のものではなく、この時代に多くの人が持つ不安が、こうした語りを生み出しているのかもしれない。

 感動的な式辞として、多くの人がそこに励ましや安心を見出すのはごく自然なことだ。ただ、祝辞がAI論、身体論、科学史、人間論でくるまれているため、論理的な言説として読むと、上記で挙げたいくつもの問題が浮かんでくる。本来ならメッセージを支えるはずの論理的主張の部分がメッセージと食い違って見えてしまうのだ。

 この祝辞が広く支持されたのは、論理の強さゆえではなく、AI時代の人々の不安に対して「それでも人間には特別なものがある」と、劇作家ならではの訴求力で語ってくれる点にある。思想として読むよりも、不安の時代における人間確認のレトリックとして読んだほうが、その性格がよく見える。