誤解しないでください。
私は核戦争を肯定する「博士の異常な愛情」(※1964年の映画。核戦争による人類滅亡をブラックユーモアで描いた作品)のような演説をしているのではありません。はっきり言わせてください。核保有国間での第三次世界大戦は「不当な戦争」であり、救いようのない大惨事となります。
しかし、私たちは最初の冷戦で第三次世界大戦を回避しましたが、同時に「不当な平和」をも回避しました。それはケネディやレーガンのような大統領たちが、ハルマゲドン(暴力的終末)のリスクと、共産主義者による世界征服のリスクの間にある、極めて細い針の穴を通すような道を歩んだという、ほとんど奇跡的な成果でした。
彼らは、ハルマゲドン(暴力的終末)のリスクと、共産主義者による世界征服のリスクの間にある、極めて細い「第三の道」を見出さなければなりませんでした。
彼らは、アピーズメント(宥和政策)と臆病さを持つネヴィル・チェンバレン氏と、核戦争をも辞さない好戦的なエドワード・テラー氏あるいはハーマン・カーン氏のような人物の間にある、細い道を歩む必要があったのです。
「どんな犠牲を払っても平和を」
→「不当な平和」に甘んじることに
戦争を恐れるあまり、不当な要求に屈服する。1938年のミュンヘン会談でチェンバレン首相がナチスに妥協したように、いかなる犠牲を払ってでも平和を望む態度は、最悪の悲劇を引き起こすことがある。
現在の私の懸念は、私の保守的なベビーブーマーの友人たちでさえ、ケネディやレーガンの時代とは全く異なる型にはまってしまっていることです。いかなる犠牲を払ってでも平和を望む世界は、結局のところ「不当な平和」に甘んじてしまうことになるでしょう。
では、それらの確率はどのくらいかと私が本能的に思うのは、今や世界の誰もが、第3次世界大戦がどれほど悲惨なものになるかを知っているということです。
ですから、その(第3次世界大戦が起こる)可能性は実のところかなり低いと思います。







