また、AIが知的労働を代替し始めたことも相まって、自分の体を動かすことや体の状態を知ること、健やかでいることへの関心が、より高まると予想されます。運動・睡眠・メンタルヘルスを一つのプラットフォームで統合管理する動きが急加速しており、デジタルフィットネス市場は、2024年の106億ドルから2033年には336億ドルへと拡大する見通しです。

 こうした流れから、世界のトレンドを予測するThe Future Laboratoryのレポート序文にも「究極のラグジュアリーの価値提案は、いまや寿命と健康の延伸にある」と記され、「健康が豊かさを象徴する」という価値観が成熟されつつあります。

 グローバルウェルネス市場は2023年時点で6.3兆ドルに達し、2028年には9兆ドルへ拡大する見通しです。

 この次なる市場で競う相手は、もはやナイキやアディダスではありません。Apple Watchが健康管理のエージェントになり、Oura Ringは睡眠と回復の指標を握り、ラグジュアリーブランドとホテルチェーンはウェルネスリトリートを展開するなど、さまざまなプレーヤーが「健康×ラグジュアリーの体験価値」への参入を本格化しています。

 アシックスが「走る人の信頼」と「オニツカタイガーのラグジュアリー」という二つの顔を持つ稀有なブランドであることは、潜在的な強みでもあります。

 しかし同時に、健康がラグジュアリーとして価値を持つ市場での商機を捉えようとするならば、エコシステムをより外へ解放していくことが求められます。そして、エコシステムの中で、自社の役割をどう定義するかが問われることになります。

「なぜ、いまその戦略なのか」
持続的成長に向けて経営者が問われること

 アシックスの事例が私たちに示す最も深い示唆は何でしょうか。

 それは、「anima sana in corpore sano(健全な身体に健全な精神があれかし)」というラテン語を社名の由来とする同社が、その哲学を起点に事業ポートフォリオ、技術開発、顧客体験の設計まで一貫して組み立てた点です。

 ナイキやアディダスなどの巨人に加え、ライフスタイル領域の競合がひしめく中、「なぜアシックスである必要があるのか」という問いへの答えは、機能スペックだけを競っても見えてきません。競技者から日常の走り手まで、そしてファッションとしてオニツカタイガーを纏う人まで、それぞれが「自分なりの健やかさ」を体現するブランドとして選ばれる——そのような「意味」を外部パートナーと協調して、エコシステムの中で編集する力こそが、持続的な高収益の源となるのです。

 多くの企業で株主総会が開かれるこの時期。経営陣は「なぜ、いまその戦略なのか」「どこへ向かうのか」を問われる季節です。アシックスのこの10年は、その問いへの、一つの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。