「辺野古新基地建設反対に賛同して、この座り込み現場に来てくださったことを歓迎いたします。共に闘うために」(2015年、2016年)
「ここでの闘いは『座り込み』です。私たちの行動に賛同いただける方は、まず一緒に座り込んでください」(2015年~2018年)
学校側の説明では、この「闘争呼びかけ」は現地のガイドから「辺野古テント村」がどういう場所であるかを生徒に知らせておいてほしいとの意向を受けてそのまま書き写したものだという。このように反基地側の主張はしっかりと生徒へインプットしていた反面、辺野古移設を進める側の主張はほとんど扱っていない。
松本文科相も5月26日の会見で「多様な意見を(学習で)扱った証拠を出してくれと学校側に何度も尋ねたが、沖縄県のホームページ(HP)しか出てこなかった」と述べている。
日本共産党の田村智子委員長が5月17日に「ヘリ基地反対協議会の構成団体である日本共産党として、私からも心からおわびを申し上げる」と謝罪したように、反基地運動には特定の政治信条をもつ人々が強くコミットしている。産経新聞の報道によると、亡くなった女生徒を乗せていた抗議船「平和丸」の船長も、沖縄地方選で共産党から出馬した過去があるという。
つまり、踏み込みすぎか否かという議論以前の問題で、同志社国際の「平和学習」は特定の政治イデオロギー方面へとゴリゴリに偏向していたことがうかがえる。
では、なぜ高校生たちが「平和」の名のもとに政治運動の最前線へ続々と送り出されていたのか。亡くなった女生徒の遺族が語っているように「きれいなサンゴを見たい」というだけの生徒を、なぜ無許可で危険な抗議船に乗せるという暴挙に出てしまったのか。
この原因のひとつに「キリスト教人脈」があったのではないか、と文科省は考えていたようだ。前出の文書の中にも「確認事項」としてこうある。
「教育基本法反対及び辺野古の米軍新基地建設反対を宣教基本方策に掲げる日本基督教団京都教区のホームページ上で、関連諸団体として、同志社国際中学・高等学校が位置付けられていること」(9ページ)
しかし、同志社国際高校側はこれを否定する。日本基督教団京都教区のホームページに「関連諸団体」として位置付けられているのは、学校側に許諾なく掲載されているものだと説明。学校の教員の中には、日本基督教団京都教区の牧師もいるが、学校教育の方向性を決められるような権限はないというのだ。
ただ、権限はなくとも教育の偏向に「キリスト教人脈」が関わっていた可能性は色濃く残る。亡くなった抗議船の船長も日本基督教団の「牧師」であり、文科省見解でもこの人物に平和学習が任されたのは「キリスト教人脈」からで、生徒たちに行う宗教儀式の中で反基地運動の意義を説いていた実態が浮かび上がっている。







