刷り込んでいるイデオロギーが180度真逆なだけで、「あっちは悪で、こっちは正義」と世界を単純な善悪二元論で解釈させて、政治的主張の異なる人々への憎悪と対立を煽っている、という基本精神は双子のように瓜二つだ。
「人が欲しい」という焦り
悲劇を招いた運動の”限界”
このような「イデオロギー教育」という問題にくわえて、今回の悲劇が起きた背景には、「反基地運動の後継者不足」も影響した可能性が考えられる。
同志社国際高校が京都府にした説明によれば、牧師から生徒を抗議船に乗せるように提案されたのは、2022年夏だったという。先ほど触れたように、牧師は少なくとも2017年あたりから大学生相手に「乗船ツアー」をしていたのだから、学校側から開会礼拝を依頼された2018年時点で提案していてもおかしくないのに、なぜこのタイミングなのか。
謎を解くヒントは、牧師の著書『沖縄辺野古の抗議船「不屈」からの便り2』(みなも書房)にある。
この本は日記形式で「2022年2月」に気になる記述がある。タイトルはズバリ、「人が欲しい」。以下、引用させていただく。
「現状はあまりにも人がいません。それでも現場に少数でもいつづける人間がいることで、発信がなされ、世論に訴えていけると、私たちはあきらめられずにやり続けてきましたし、これからも続けますが、しかし夢のような望みと知りつつ本当に人が欲しいです」(239ページ)
この切実な訴えの数カ月後、牧師は同志社国際の担任教員らに対して、抗議船ツアーを提案する。翌年3月に予定されていた研修旅行の下見をしていたときだ。
このような悲劇に「もしも」は意味がないことは重々承知しているが、もし辺野古の反基地運動が今よりもっと盛り上がっていたら、全国から人が押し寄せて、座り込みをする人間がたくさんいたら、牧師は同志社国際に対して「抗議船ツアー」を持ちかけなかったかもしれないのだ。
「人が欲しい」から高校生にも辺野古の現実を見てもらいたい。その想いが強過ぎるあまり、無許可の船で、しかも波浪注意報が発令していたのに出航するという判断ミスをしてしまったかもしれない。
今回の悲劇で、反基地運動をしている人々は批判にさらされている。もちろん、批判されるだけのずさんな安全管理をしていたわけだが、「ずさん」になってしまうほど、彼らも追いつめられていたのだ。
だから、遺族感情を無視して、「国が悪い」「そもそもこんなところに基地をつくるほうが悪い」という無理筋の責任転嫁をしてしまう。自分たちに寄せられる批判についても「右派メディアが反基地運動を潰そうとしている」と被害者意識ばかりを募らせてしまうのも、反基地活動家のみなさんが高齢化や、後継者不足によって、マンパワー的にも精神的にもかなり苦しい状況にあるからなのではないか。
前掲書の最後に掲載されている日記のタイトルは「満身創痍の船団」。反基地運動の「理想と現実のギャップ」をこれ以上ないほど残酷に、そしてわかりやすくあらわした牧師の言葉があるので、引用して本稿のまとめとしたい。
「命を守る戦いなのですから、自分の命も、仲間の命も最大限大事にしながら、海では人は簡単に死ぬことを肝に銘じて、無事に帰ってくることを第一にこれから活動していきたいと思います」(244ページ)








