盛田は、松下にベータマックス方式を採用してくれるよう深々と頭を下げた。当時、ソニーの売上高はおよそ4000億円程度に対し、松下電器のそれはすでに約1兆7000億円であり、ソニーのおよそ4倍の規模だった。懇願する盛田に対し、松下はVHSの優秀さを諄々と説き、盛田の申し出を断った。

 電機業界の“巨人”松下はVHSを選択したが、盛田はベータマックスを諦めなかった。しかし、ベータマックスを生産していた東芝、三洋電機がVHSも生産するようになり、1980年代前半にはベータマックスの生産を終了した。ここに至り、ベータマックスの敗北が決定的になった。

 この教訓が盛田をして、CBSレコードの買収、そしてコロンビア・ピクチャーズの買収へと突き進ませる。

盛田の「夢の一言」で
コロンビア買収は動き出した

「もし、あの時、映画やテレビや音楽のライブラリーを持っていたら絶対にVHSに負けることはなかった」

 盛田は、ビデオ戦争で一敗地に塗れた後、度々こんな言葉を漏らしていた。“ライブラリー”とは、まさに“コンテンツ”のことだ。盛田は、その独特な嗅覚で、単にエレクトロニクス製品を売るだけでは限界が来ることに気づいていたのかもしれない。CBSレコードにしろ、コロンビア・ピクチャーズにしろ、盛田にとっては“コンテンツ”の宝の山に見えていたのだろう。

 しかし、余りにも高い買い物で、現実にソニー本体の存続が危ぶまれるほどの事態まで発展していく。

『ソニードリーム・キッズの伝説』には、1989年8月に開かれた経営会議でコロンビア・ピクチャーズ買収の経営判断を下す場面が記されているので引用する。

〈事務局長の役をしていた岩城(筆者注:岩城賢代表取締役副社長)は、「昭夫会長」が一つの質問で会議を始めたことを記憶している。大賀(編集部注/大賀典雄代表取締役社長)の体調が思わしくないのに、未知の事業に参入するのははたしてソニーにとって賢明なことだろうか、というのである。

 この時点まで大賀は、特にコロンビアが所蔵するフィルム・ライブラリーのためコロンビア買収を強く主張してきた。だが、健康への自信がひどく揺らいでおり、不安を表明しろという盛田の誘いを受け入れた。

 価格は法外な高さのままで、ハーバード・アレンは一株三十ドルの提示価格を変えるつもりはないように見受けられる。おまけに自分は音楽事業に関しては、知悉しているが、ハリウッドについては何も知らない。さらに健康上の問題がある……。大賀は当面の話をして口をつぐんだ。次いで盛田が言った。現在のところ、コロンビア買収を中止するのが賢明だと思われるから、今回は見合わせよう、と提案した。岩城は議事録に、「会長はコロンビア買収を断念」と記した。

 その夜、経営会議のメンバーたちが夕食をともにしたとき、盛田が偶然に一言発言しなかったら、コロンビア買収はそのまま中止されていたかもしれない、と岩城は語る。会話が途切れたとき、盛田は湯飲みを置いて静かに言った。「非常に残念だ。俺はハリウッドの撮影所を持つことをいつも夢見てきたんだ」誰も何も言わなかった。だが、会議が再開されると、大賀は、よくよく考えてみたが、自分も会長と同じ思いであり、やはりソニーは買収を進めるべきだと思う、と述べた。盛田は同意し、結論となった。前回の岩城の記録は、会長、コロンビア買収を進める、と改められた〉