国民がそろって70歳まで
健康でいてほしい
近藤先生の特徴的な考え方は、当時も現在と同じように長寿を判断する際は平均寿命で比較していたのですが、平均寿命は亡くなった人ひとりひとりの年齢を加算してそれを人数で割って求めたものであって、長生きする人が多いのか、少ないのかを示した指標ではないと考えられたことです。
当時、日本では乳幼児の死亡率が非常に高く、20歳前後の若い青年たちは多くが結核で亡くなったという時代で、日本にはヨーロッパの文明諸国と比較して70歳以上の人が半分くらいしかいなかったのだそうです。近藤先生は、人間は少なくとも70歳以上まで健康に生きてもらいたいとの考えのもと、70歳以上を長寿と定義したそうで、百何十歳という英雄的な長寿の人はいてもいなくてもいいとの発想だったのです。むしろ百何十歳まで健康で生きるということではなく、国民がそろって70歳を超えるまで健康で自分の仕事をすることができるような国になって欲しいとの思いが根底にあったそうです。
当時の調査結果によると、長寿村と短命村は日本全国に分布していたことがわかります(図25)。
同書より転載 拡大画像表示
当時の日本の中でも生活習慣の影響で長寿村と短命村が存在していたことは明らかですから、それらの村の生活習慣を知ることによって長寿になるためのヒントが得られると考えられます。
長寿村と短命村を分けた
食事と生活習慣の違い
長寿村の特徴は、(1)野菜(ニンジン、カボチャ、ながいも等)、大豆をよく食べる、(2)山菜を食べる、(3)白米が少ない(麦が主でサツマイモも多い)、(4)魚は特に小魚を食べる、(5)海藻の常食(ワカメを豊富に食べる)、(6)ゴマをよく食べる、(7)歳をとっても体を動かしてよく働く、であったのに対して、短命村の特徴は長寿村の真逆であり、(1)野菜(ニンジン、カボチャ、ながいも等)を食べない(特に男性が野菜を食べない頻度が多い)、(2)山菜を食べない、(3)魚は高級魚の切り身を食べ小魚は食べない、(4)白米を大量に食べる、(5)海藻を食べない、(6)ゴマを食べない、(7)比較的若い時期に働くのをやめてしまう、などであったと記載されています。







