どれほど足を棒にして回っても数字は動かず、どれほど言葉を尽くしてお客様と向き合うとしても、言われた通りのやり方ではお客様との距離が縮まらない。それどころか、報告に対してマネジャーからは「まだ足りない」「なぜ教えた通りにできないんだ」と、さらなるダメ出しが飛んでくる。
こうした「必死の努力と、無残な結果」が何度も何度も繰り返されると、人間の脳は身を守るために、効率的で悲劇的な結論を導き出します。
「ああ、自分の行動によって、この過酷な状況を変えることは不可能なんだな」
「頑張っても怒られる、頑張らなくても怒られる。なら、最低限頑張っているふりだけして、心を殺して耐えるのがこの場ではベストな振る舞いだろう」
これが、学習性無力感による恐ろしい結末です。「努力しても無駄であること」を、実体験を通じ深く学んでしまった状態。一度このモードに入ってしまうと、メンバーは新しい工夫をすることを完全にやめ、表情を失い、ただ指示を待つだけの「作業マシン」と化してしまいます。彼ら・彼女らにとって、会議は「やり過ごす時間」になり、お客様との商談は「義務を果たすだけの苦行」に変質します。
「もっと情熱を持て」が
部下へのトドメの一撃に
最近話題になっている「静かな退職(転職せずに職場に残りながらも、最低限の業務だけをこなし、昇進や評価を狙った過剰な努力をしない働き方)」も、この学習性無力感の一つの表れであると言えるでしょう。要するに、「期待をしても自分が傷つくだけだ」と心が固まってしまっている状態です。
『「任せて育つチーム」はどこが違うのか 科学的に正しい「勝てる営業」のつくり方』(高橋浩一、PHP研究所)
さらに危ないのは、この状態で「もっと情熱を持て」「気合いを見せろ」という精神論をぶつけられることです。耐えるためのエネルギーが枯渇しているメンバーにとって、その言葉は励ましではなく、トドメの一撃となります。
そして、心そのものがポキリと折れ、組織を去るか、あるいは「死んだ魚のような目」をしたまま居座り続けるという結果を招くのです。
この悲劇において、誰か特定の悪人がいるわけではありません。むしろ、素晴らしい成果をあげて昇進した責任感の強いマネジャーほど注意が必要です。
学習性無力感に陥ったチームでは、新しいことを試しても、どうせ失敗し、どうせまた「あなたはダメだ」と否定されるだけと皆が考えてしまいます。思考を停止させ、目立たず、何もしないことが最も生存確率を高める合理的な選択だとメンバーが思い込んでしまうのです。







