フランス人の「国家」へのスタンス

 この違いを理解するには、フランスとアメリカの国家観の根本的な差を押さえておく必要がある。

 フランスは、もともとアメリカ型の小さな政府の国ではない。国家、官僚制、公共サービス、教育、医療、年金、産業政策が大きな役割を持つ国である。フランスの政治エリートは、グランゼコールに代表される高度な教育機関を経て、官僚機構、政界、企業経営層へ進む。これは日本以上に強固なエリート支配構造とも言える。

 マクロン政権の最大の失敗は、国家の役割を「グローバル経済の中での競争力強化」というエリートらしい合理性のみに限定してしまったことだろう。フランス国民が期待していたのは、グローバル化の波から自分たちの生活を守る「盾としての国家」であり、マクロンはその盾を何の葛藤もなく捨ててしまったのである。

 マクロン大統領のカリスマが剥げ落ちたきっかけは年金改革の失敗だろう。だが、それは一つのイシューの挫折に過ぎない。問題は、マクロン政権が生活者に寄り添うことなく、常にEUの中心に居続けたことで、「生活者」からの不満を蓄積していったことにある。

 だが、フランス国民が、エリート主導の政治に嫌気がさしていたわけではない。むしろ、有能な国家エリートこそ国民生活を守れると考えてきたのである。

 ここに、ルペン現象の本質がある。フランス国民が怒っているのは、エリートが国を動かすことではなく、本来はフランス国民の利益を守るべき国家が、EU、環境規制、移民、人権外交、国際協調、ウクライナ支援といった国際的アジェンダの執行装置へと変質してしまったことに対してである。

 国民連合の台頭は反国家的な現象ではなく、国民のための国家を求める運動と言うべきだろう。国家は必要だが、それはフランス国民の生活と文化を守るための国家でなければならない。ルペンの主張は、この感覚に訴えている。