だがしかし、今回の株主総会の体たらくを見ても相変わらずのおざなりで、「内田前体制の失政、社外取の責任を追求すべし」と株主の共通の声となっていた。

 昨年4月に就任したエスピノーサCEOは、経営再建「Re:Nissan」が前進していることをアピールし、27年3月期は営業利益2000億円を確保すると強調していた。しかし株主らは、無配の継続、株価は310円程度と長期低迷に不満を爆発させていた。議長運営としても手際がおぼつかない様子が散見されたし、47歳という若さだけで、本当にV字回復できるのか、CEOの手腕に対しては不信感のほうが強いと感じられた。

2時間半も…日産の株主総会が「動議の嵐」の末、社外取1人だけ再任否決された理由【現場ルポ付】筆者の株主総会の出席票

なぜ日産はメインバンクを
旧興銀(現みずほ)としてきたのか

 なぜ日産はメインバンクを旧興銀(現みずほ)としてきたのか。その歴史を振り返ると、興銀出身で1957年から16年間にわたり日産社長を、73年からは会長を務めた川又克二氏の「功罪」がある。「功」は、強力なリーダーシップで日産を業界2位に押し上げたこと。「罪」とは、いびつな労使協調を許し、日産の凋落を誘引した、ガバナンスの麻痺である。

 川又会長の比護の下、権勢を振るい、日産の人事権まで掌握したのが労働組合のトップだった塩地一郎氏だ。その塩地氏と全面対決したのが、1977年に社長に就任した石原俊氏である。当時、筆者は自動車専門紙の若手記者だったが、石原社長がイギリス工場進出を発表会見した直後に、塩地・日産労組会長が工場進出を猛反対した衝撃会見を今でも覚えている。

 こうした日産のガバナンス不全が、結果的に経営の停滞を招き、トヨタ自動車に大きく水を開けられ、ゴーン事件で再び経営危機に陥る病巣となっている。翻って現在の日産のガバナンスが、旧興銀につながるみずほ出身者では、確かに「独立性に懸念」という見方が正論だろう。

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