トヨタと何が違ったのか
トヨタは2026年5月、レクサスの次世代EV「LF-ZC」の量産開発中止を発表した。航続距離1000kmを目標に掲げた野心的なモデルだったが、世界的なEV需要の鈍化と高級セダン市場の縮小を踏まえた判断だ。トヨタCTOの中嶋裕樹副社長は「後続車があったからこそ責任を持って中止した」と語った。
この判断はVWとは対照的だ。VWのEV撤退が「敗走」だとすれば、トヨタの決断は「戦略的撤退」だ。ハイブリッドという30年の技術蓄積という強固な足場があるからこそ、特定モデルの開発を止める余裕がある。2027~2028年の実用化を目指す全固体電池という次の競争軸も準備している。「EV一本化という時代の空気」に流されず、自社データに基づいて「正しいことを正しいと言い続けた」のがトヨタだ。
もちろん、トヨタも万全とは言えない。ダイハツや豊田自動織機の認証不正問題は、VWのディーゼルゲートと本質的に同じ構造を持つ。「現場の品質文化を誇るトヨタグループの足元で同じごまかしが起きた」という事実は重く受け止めなければならない。
それでも、哲学を守り続けた企業と哲学を失った企業の差が、今日の明暗を分けたことは確かだ。
再び「アジアの病人」とならないために
VWの10万人削減は、ドイツ自動車産業「崩壊」の象徴としてみるべきだろう。水面下には東西統一における旧東ドイツ復興の判断ミス、好況による痛みを伴う改革の先送り、ディーゼルゲートの重荷、重要技術の喪失など、30年以上にわたって蓄積した構造的なゆがみがもたらしたものである。
引き返すチャンスは何度かあったはずだ。だが、長らく続いた好景気が危機意識を覆い隠し、株主・経営陣・労組・政府などが利益を得られる状況ゆえ、改革ができなかった。好況が改革の必要性を覆い隠したのである。
それを踏まえて日本を見ると、かつて1990年代の長期低迷期に「日本病」と呼ばれた時代を経験している。今まさに日本は円安・株高・防衛特需という反転攻勢に入りつつある。ドイツが「三つの追い風」の中で改革を先送りにしたように、この順境が「改革の先送り」を生まないか、常に問い続けなければならない。
好景気のときほど、改革を怠るべきではない。怠れば、今度は日本が「アジアの病人」になりかねない。どんな分野にせよ、現状に満足せず、常に改革を怠らない企業が生き残っていくのである。
(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)







