トラバントの消滅と「救済」の終焉

 東ドイツ国民から「トラビ」の愛称で親しまれた「トラバント」は1991年に生産終了した。通貨統合で西側の中古車が流入した瞬間、東側住民自身が東側製品を選ばなくなったからだ。統一直後、トラバントが路上に乗り捨てられる光景が各地で散見されたという。

 そのトラバントが消えた跡地にVWが進出し、ツウィッカウ工場として地域の雇用を支えてきた。これが「西側による救済の物語」だった。

 だが、今回の人員削減で、ツウィッカウ工場が閉鎖候補に挙がっている。トラバント消滅から35年、「救済の物語」が終わり、旧東ドイツにおける製造業の灯火がついえようとしている。

AfD台頭は旧東ドイツの「不満の爆発」

 旧東ドイツからは優秀な人材が旧西ドイツへ流出し、地域経済は縮小し続けた。この悪循環が30年以上続いた結果、旧東ドイツ地域で、右派ポピュリスト政党のAfD(ドイツのための選択肢)が第一党となる州が相次いだ。

 東側住民のAfD支持の背景には、統一後の経済的疎外感や人口流出への不満に加え、移民政策や既成政党への不信など複数の要因があると見られる。保守的な考え方が根強い地域では、リベラルな「多様性」「環境」「ジェンダー平等」という言説が、自分たちの意思を無視した押しつけとして受け止められることもあった。

 背景には、ナチズムをめぐる東西ドイツの歴史認識の違いもある。西ドイツでは戦後、ナチスへの反省と贖罪が国家アイデンティティの重要な柱となった。一方、東ドイツでは「反ファシズム国家」を掲げ、「共産主義者こそナチスと戦った側だ」という歴史認識が重視されたため、西ドイツほどには加害責任を個人レベルで問い直す議論が社会全体に浸透しなかったとされる。

 統一後、西側の歴史認識が東側に押しつけられた。内面化されていない規範が、東から西への内心の反発を強めていく。だからこそ、AfDの「民族主義」が東の人々の心に響いたのである。

 さらに皮肉なことに、AfDの台頭が地域イメージや人材確保に悪影響を及ぼし、企業の投資判断を慎重にさせるとの懸念も経済界から上がっている。政治的分断が経済停滞をさらに深める悪循環に陥りかねないとの指摘もある。