運命に逆らうか受け入れるか
こうして二人を並べると、両者を分かつ一点が浮かび上がる。運命に対する態度である。
ティール氏は、運命に逆らおうとする反逆者だ。とりわけ死という最大の運命を、克服すべき敵とみなす。一見それは強く、能動的で、英雄的だ。しかし、この態度は構造的に安らぎを許さない。死を敵とする限り、その敵に必ず負ける。
「すべての人間はいずれ死ぬ」というこれまで当たり前にされていたことにさえ、あらがおうとしている。
だが、そこには大きな反作用が現れる。どれだけ富を積み、延命技術に投資しても、「まだ足りない、まだ安全ではない」という不足感から抜け出せず、常に不安に突き動かされる。
バフェットは「自分の死」にあらがっているようには見えない。もちろん、バフェット氏ほどの人物でも死の恐怖を克服するのは難しいだろうが、95歳にあっても50年後のことが語れるバフェット氏にとって、自分の人生すら「物語」の一部である。その物語は自分の死後も続く。
ティール氏とバフェット氏という超富裕層の投資家の生き方の違いは、死への対峙の仕方が生んだものではないだろうか。死を克服しようとして不死を求めた者ほど死に怯える。反対に、死を受け入れた者ほどその恐怖から自由になれる。
ここで、有名な「老人と木」の寓話を思い出した人もいるだろう。
老人が木を植えているのを見た旅人が尋ねた。「あなたが生きているうちに実らないのに、なぜその木を植えるのか」。老人は答える。「私が今日果実を食べられるのは、私より前の誰かが、自分では食べられないと知りながら木を植えてくれたからだ」。
バフェットの「50年は売らない」という言葉は、この老人の精神と同質だ。彼にとって日本の商社株は、自分が刈り取る果実ではなく、次の世代のために植える木なのである。だからこそ「後継者が同じことを言うだろう」と言える。彼はもう、自分を主語にしていない。
ティール氏が不死を追う背景には、命を個人だけのものとして捉える発想があるのかもしれない。命が自分で始まり自分で終わると考えるから、その終わりが耐えがたい恐怖になる。バフェット氏が死を受け入れているように見えるのは、自らの命を「次につなぐもの」と見ているからだろう。
前の世代から受け取り、次の世代へ渡す。その連なりの中に自分を置いた瞬間、個としての死は、流れの断絶ではなくなる。バトンを渡すことは、走り終えることであって、消えることではない。
シリコンバレーの富豪が自分の作った秘密結社で「第三次世界大戦の生き延び方」や「不死」を議論し、一方で95歳の投資家が「50年売らない」と言って日本に「木を植える」。どちらの生き方に心を動かされるかは、その人が未来や人生をどう捉えるかを映し出しているのかもしれない。
(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)







