時には、あるメンバーが対立するメンバーの胸ぐらをつかみ、「おまえ、もう一度言ってみろ」とけんか腰になったこともあるという。こうしたチームを運営する責任に「不眠症になるほどのプレッシャーを経験した」と同氏は振り返る。

 それでも、嘉悦氏はこうした対立をあえて放置することにした。「極限状態で部門を超えた議論をこなすことで、両方が互いの立場を初めて理解できる。それが、部門間の壁を低くする」。そして、「ある部門とある部門が対立していることを残りのメンバーたちが見ていると、自分たちが知らなかった部門間の対立を疑似体験できる」ことに同氏は気付いたからだ。

 これを何百回も繰り返した末に、CFTのメンバーたちがたどり着いたのは「わだかまりも誤解もない、全て分かり合った透明感」(嘉悦氏)だったという。

「出身部門や地域などのしがらみを忘れ、全社的なレベルでの『日産のデータベース』が初めてメンバー間で共有され、以降のチーム活動が加速した。全てのメンバーが、我々がまともな提案をして日産が再生できなければ、会社が倒産してみんなクビになる。どうせ戻るところがないのなら、とことん暴れてやろうという気持ちに変わっていた」(同氏)

 葛藤や対立は、こうした「効用」を得るために避けられない通過点だったようである。

 リバイバル・プランを策定するためのこうしたCFTの活動は実質的に1カ月半続き、2000件のアイデアが検討された。ゴーン氏をはじめとする経営側がそれらを分析し、取捨選択して反映したのが1999年10月18日に発表したリバイバル・プランだったのである。

 そして、当初3年で遂行する予定だったこのリバイバル・プランは、先述の通り1年前倒しした2年で終了する。計画していた以下の8つの全てを達成したからである。

  • (1)商品ラインアップの刷新
  • (2)購買コストの削減
  • (3)生産効率の向上
  • (4)研究開発効率の向上
  • (5)販売・マーケティングの効率化
  • (6)グローバル従業員数の適正化
  • (7)財務体質の強化
  • (8)グローバルな組織改革