GMとフォードに勝てた理由

 こうしたリバイバル・プランによる改革が効果的に作用した結果、日産自動車の社員の仕事ぶりは確実に変わっていった。そして、それは商品であるクルマに大きく反映された。「マーチ」「フェアレディZ」「エルグランド」「キューブ」など、同社は売れるクルマを次々に生み出すことに成功したのだ。2002年度の販売台数は前年度比6.7%増の277万1000台に達した。

 その秘密について、当時、日産自動車で副社長を務めていたパトリック・ペラタ氏は「顧客志向の商品企画を貫いていること」と同セミナーで語った。ペラタ氏が日産自動車に来た1999年、同社のクルマづくりには「完全に顧客の視点が欠落していた」(同氏)という。

 ペラタ氏が「なぜこのクルマを造ったのか」と問うと、従業員は「技術や製造の力があったから」とか「クルマを造るネットワークがあるから」「社長に言われたから」などと答えていた。誰一人として「満足する顧客がいるから」とは口にしなかったというのである。

 その結果、日産自動車ではクルマが売れない責任を部門間で互いに押し付け合っていた。技術開発部門や商品企画側は「営業や販売が駄目だからクルマが売れないんだ」と言い、営業部門や販売部門は「こんなひどいクルマを造っておいて、どうやって売れって言うんだ」と言い返すという状況だった。

 顧客志向にするために、日産自動車は「マーケットイン」に基づく商品企画を立てるべく組織を変えた。それまでは技術開発部門の中に組み込まれていた商品企画部門を独立させ、CEOの下に技術開発部門や生産部門、購買部門などと同列に配置した。その上で、商品企画部門の中に、さらに市場情報を調べるチームやベンチマークを実施するチームなど、顧客や市場を詳細に調べる新しい組織をつくっていったのである。