信長は伊勢支配を進めるなかで、信雄を伊勢国の北畠家、信孝を北伊勢の神戸(かんべ)家の養子として送り込みます。家督を継いだ彼らは、それぞれ北畠具豊(ともとよ/のちの北畠信意・のぶおき)、神戸信孝と名乗りました。信長は自身の息子を各家の後継者とすることで、伊勢の支配を進めたのです。

 信雄は北畠家の家督を正式に相続した1575(天正3)年、現・玉城町の田丸城を拠点とし大幅に改修します。三層三階の天守もあったといいますが、1580(天正8)年に火災で焼失。それを機に廃城となり、以後は松坂の松ヶ島城を拠点とします。往時は周囲を水路に囲まれていました。

田丸城の天守台田丸城の天守台 撮影:今泉慎一(風来堂)
田丸城の本丸北東の虎口田丸城の本丸北東の虎口。複雑な折れを伴う石垣が見事 撮影:今泉慎一(風来堂)
松ヶ島城の跡松ヶ島城の跡は農地や宅地化しており遺構はわずか。中央の小山が本丸 撮影:今泉慎一(風来堂)

 一方の信孝は、神戸城を居城とします。1580(天正8)年には大幅改修し、五層の天守を頂く近世城郭とします。

神戸城の天守台神戸城の天守台。巨石は権威の象徴か 撮影:今泉慎一(風来堂)
水堀神戸城にはかつて水堀が巡らされていた 撮影:今泉慎一(風来堂)