つまり、作品の内容を細かくチェックして、本当に公共事業とのタイアップにふさわしいかを熟考するというよりも、次々と企業側から提案される「おいしい話」をサクサクこなしていくという「雑な感じ」になってしまうのである。

 そこに加えて、個人的には3の《無理筋クレームに対応しすぎて「常識」が麻痺》ということがかなり大きいと思っている。

 霞ヶ関官僚のブラック労働が問題になっているのは周知の事実だ。その中でも長時間労働を強いられる「国会対応」と共に負担となっているのが「国民からの苦情や問い合わせ」だ。今年4月に、国交省が電話対応を全面外注したことからも、これがいかに現場のメンタルを削っているかが伺えよう(4月12日 日本経済新聞)。

 実は筆者も某役所で「国民からの苦情や問い合わせ」対応の研修やアドバイスを行ったことがある。そこで強く感じたのはベテランになるほど、理不尽クレームに慣れすぎているせいで、相手を見下したような対応になってしまうということだ。

 例えば、研修の中で模擬のクレーム対応をやってもらうと、若手は話に耳を傾けて、謝罪をするなどの対応をするが、あるベテランは何を言われても木で鼻をくくったような言葉を繰り返して、挙げ句の果てに「私は担当じゃないので」とその場から逃げ出してしまった。

 ふざけているわけではない。官僚はみな頭がいいので、これまで膨大な苦情や問い合わせの処理をしてきたという経験則から、「ああ、これはどう答えても怒られるな」という結末が見えてしまう。だから、批判をしてくる人をまともに取り合わないという戦略をとる。1時間かけて説明してもどうせわかってもらえず罵声を浴びせられるのだから、5分で相手がキレてお引き取いただいたほうが「効率的」だと考えるのだ。

 これは官僚だけではない。日常的に苦情や問い合わせを受けてきた部署の担当者、事故や事件が起きて矢面に立たされ何年も罵声を浴び続けた人などでもよく見られる傾向だ。

 どんなに頭を下げても、丁寧に説明をしても「納得がいかない」「もっとちゃんと説明しろ」「責任者を出せ」などと長時間罵られているうちに、「叩かれる」ということに対して耐性が強まることで、「慇懃無礼」な対応になってしまうのだ。

 これの恐ろしいところは、「危機」に対する感度もバグってしまうことだ。「これ誰が見ても炎上するでしょ」というリスキーな案件を「どうせ何をやっても叩く人というのは一定数いるでしょ」と深く考えずに進めてしまう。

 霞ヶ関官僚のような優秀な人たちが、こんな愚かなタイアップ案件を決めたことに驚く人も多いだろうが、優秀だからこそ「批判をしてくる人」のことを見下して、視野の狭い判断を下してしまう、というのも危機管理の難しさなのだ。