その人が地下鉄に乗っていたら、泣く赤ちゃんを抱く母親がいた。すると、会社員らしき男性がその親子に近寄ってきて、「うるさいから出ろ」と怒る光景を目撃したという。

 なんとひどい男性だろう! 赤ちゃんは泣くのが普通なのに!

 と思ったが、どうもその母親は、子どもがギャン泣きしているのに、ずーっとスマホをいじっていたらしい。

 なんとひどい母親だろう! 赤ちゃんが泣いているのにスマホを触るなんて!

 と思ったが、その母親は男性に、泣きながら「ごめんなさいっ……。家族が危篤で、1分でも早く病院に着けるようにルート検索していました」と返したという。

 私はこの話をときおり思い出す。

 何が悪いか、誰が悪いかは、時と場合によっては簡単にひっくり返るものだ。悪者だと思っていた人が実は正義で、正義だと思っていた人が実はとんでもない悪魔であるケースも往々にしてあるだろう。小説や映画でよくあるパターンだ。

「ルール通りか否か」で即座に相手を批判するのではなく、「相手にも見えない事情があるのではないか」と少し立ち止まって想像してみる。制度で解決できない人間同士の摩擦は、この想像力というクッションを挟むことでしか減らせないはずだ。

 ちなみに私は今も、南北線では立っている。年120回も出張していれば、これまでに自分が何か失礼なことをしたこともあるかもしれない。私を呆然とさせたシニア女性も、きっと何か事情があったのだろうと想像するようにしている。