単に知識を持っていることの価値は低下
「問い」の価値は残るがAIの方が優れる場合も

 仮説まで作るようになったAIに仕事を取って代わられるのではという危惧を抱くのは、最先端の科学者だけではない。私のように評論的な記事を書いている者も、これを重大な問題だと考えている。

 ある問題について事実を調べ、過去の資料を参照し、それらを整理して説明するという作業なら、AIはすでにかなりの程度までできる。しかも、人間とは比較にならないほど速くできる。

 こうなると、人々が何か知りたいことがある場合、評論家や専門家の書いた文章を探して読むのではなく、AIに直接質問すればよい。そうすれば、自分の知りたいことへの答えを、直ちに得ることができる。しかも、分からない部分があれば何度でも聞き直せる。

 そう考えると、究極的にはどのような分野でも、知識を持っていること自体の価値が、確実に低下していくように思われる。そして、さらに仮説までAIが作るようになれば、

 知的作業者の状況はもっと変わってくるだろう。私はこれまで、全ての知的作業がAIに代替されることはないと考えていた。なぜなら、答えは問いがあって初めて作られるものだからだ。

 AIの答えは、何を尋ねられたかによって変わる。問いが悪ければ答えも悪くなる。つまり、価値ある答えが生まれるのは、重要な問いが立てられた場合だ。

 実際、原稿を書く際に最も苦労するのは、文章を書くことではない。何をテーマにするか、そのテーマについてどの角度から考えるか、世の中で当然と思われていることのどこに疑問を持つか、という部分だ。

 資料を集めたり文章を整えたりする仕事はAIに手伝ってもらえる。しかし、「そもそも、いま何を問題にすべきなのか」という判断は、少なくともこれまでは、人間の仕事だった。「私の知りたいことは何でしょうか?」とAIに尋ねても、意味ある答えは期待できなかった。だから私は、AI時代には「答え」よりも「問い」の価値が高まるだろうと考えていたのだ。

 ところが、ここにも大きな変化が起きている。前記の記事を読み直すと、科学研究について、仮説そのものを作るAIをGoogleが開発していると紹介されていた。

 仮説とは、問いに対する暫定的な答えであると同時に、新しい問いを作り出す出発点でもある。AIが多数の仮説を作り、その中から有望なものを選び、さらに検討を加えるようになれば、「問いを作ることだけは人間に残る」と簡単には言えなくなる。

 例えばある病気について、「どの遺伝子が原因なのか」「どの物質が治療に使えるのか」という仮説をAIが大量に生み出し、その中から可能性の高いものまで選べるのであれば、これまで研究者が行ってきた仕事のかなりの部分をAIが担うことになる。

 そして、そのような作業ですら、人間よりAIの方が優れている分野が出てくるかもしれない。そうなれば、人間が問いを作り、AIが答えるという単純な分業は崩れる。

 AIが問いを作り、AIが答えを探し、その答えからさらに新しい問いを作るという循環が成立する可能性がある。人間の関与がほとんどなくても、科学研究が前進していくことが考えられる。