そこで必要になったのが、双方が異なる説明のできる文章だった。

 四項目の合意には、尖閣諸島など東シナ海で生じていた緊張について、双方が「異なる見解」を有しているとの認識が盛り込まれた。日本は「領土問題が存在する」とは認めず、中国は「日本も双方に異なる見解があると認めた」と説明できた。

 ここに、日中外交を見る重要なヒントがある。中国が最初に掲げる最大要求と、最後に成立する「取引価格」は同じとは限らない。

「絶対に向こう(中国側)は
降りてくる」

 当時の交渉を日本側から見ていた、後の駐中国大使・垂秀夫氏は著書で、当時の自らの判断をかなり率直に振り返っている。交渉が難航するなか、日本側の関係者に対して、「絶対に向こう(中国側)は降りてくるから、もう少しだけ頑張ってください」と伝えていたという。

 なぜそこまで言えたのか。垂氏が見ていたのは、中国側の強硬な表現そのものではなかった。中国側にも、最終的には関係改善を「まとめたい」という思惑がある、と判断していたのである。北京でAPECを開催し、日本首相が中国まで来ている。それでも尖閣や靖国を理由に会談を拒み続ければ、日中関係の低迷はさらに長期化する。中国側にもコストがあった。

 最終的に成立したのは、どちらか一方が自らの基本的立場を正式に否定しなくても成立する「取引可能な文章」だった。

 では12年後の2026年にも、同じような交渉空間をつくれるのだろうか。

いま中国は日本を
どれほど必要としているのか

 習近平政権が日本との関係を完全に切り捨てにくい理由は、大きく二つある。

 一つは経済だ。中国側の「実行ベース」の統計では、2025年の日本から中国への直接投資は30億ドルで、前年比42.9%増加した。同じ年、米国、ドイツ、フランスはいずれも2割前後減少している。日本側の国際収支統計では対中投資はむしろ減少しており、統計方法によって数字は大きく異なる。

 重要なのは、中国側が用いる統計では、「日本企業が中国から投資を引き揚げている」といった見方への反証材料になることだ。習近平政権の公式見解を色濃く反映し、対外的なシグナル発信の役割も担う『環球時報』は、2026年3月、日本の対中投資増加を取り上げ、「中国への投資は未来への投資と同じだ」とまで書いた。

 その前後、中国は日本を対象とするデュアルユース品目の輸出規制を強め、高市首相に台湾有事をめぐる発言の撤回を求めていた。中国は「日本には投資を続けてほしい」というメッセージと、日本に譲歩を迫る圧力を同時に発していたことになる。