この物語のなかでは、「暮らしを良くする」ことと「基地に抗う」ことが対立せず、同じ方向を向いていた。貧しさを感じれば感じるほど反基地のエネルギーが強まるという言説の中で、オール沖縄は「反基地」=「沖縄を守るための枠組み」として存在してきた。

 また、だからこそ、貧困脱却のために経済問題を訴える「保守」が票にはならなかったのである。

 この結集を支えたのは、基地負担と貧困問題を結びつける考え方とともに、革新派の圧倒的な動員力だった。労働組合が票をまとめ、地縁の共同体が空気をつくり、地元の新聞が基地をめぐる共通の前提を再生産しつづけた。

 この三つの歯車がかみ合うことで、有権者一人ひとりの「経済」に対する関心を上回る形で「反基地」が語られ続け、革新派の支持が固められてきた。

 オール沖縄は、長年にわたって「反基地」と「貧困」がつながり、そこに地域のつながりの強さが結びついて出来上がった堅固な「革新派の支持基盤」だった。

沖縄の若者が古謝氏に流れた決定的理由

 だが、この構造には大きな欠陥がある。原因を沖縄の外に置くことで、内で結集するときにはその接着剤として働くが、内側の問題が放置されて、その矛盾が知らず知らずに蓄積していくのである。

 沖縄にとって、それはまさに貧困問題だった。

 問題の原因を外に求めるだけでは、貧困問題が解決に向けて動くことはない。そして、時間が経つにつれて、それは「内なる課題」でもあると気づく人が増えていくのである。

 若者世代が「貧困問題」をみずからの課題と認識したとき、こう考える者が出てくるのではないか。「基地に抗い続けたこの数十年で、自分の暮らしは良くなったのか」と。少なくとも十分に良くなったとは言いがたい。そのとき、「本土のせいで沖縄が苦しんでいる」という物語に疑問を持つ者が出てくるのは不思議ではない。

 念のために断っておくと、県民所得の低さには産業構造や地理的条件、歴史的経緯など、県政だけに帰することのできない要因も多い。だから、「沖縄の貧困は県政のせいだ」ということが経済分析として全面的に正しいわけではない。

 ここで私が言いたいのは、沖縄の問題を本土のせいばかりにしているこれまでのあり方に疑問を持つ若者層が多かったのではないかということだ。もっと平たくいえば、「貧困問題を解決するには、貧困問題に取り組まなければならない」というごく当たり前のことを、当たり前だと思う若者が多かったということになる。