だが、若者から見れば、これは「枠づけが外れて、自分の頭で考える場が拡がった」ことになる。同じ現象を、一方は「歪み」と呼び、他方は「自由」と受け取る。この認識の断層こそ、今回の選挙で起こった世代間の断層の正体だろう。

 皮肉なことに、こうした選挙後の反応も、今回の選挙で表れた世代間の政治意識の違いを浮かび上がらせている。

全国に広がる「守る政治」と「変える政治」の断層

 私は以前「そりゃボロ負けするわ…中道改革連合が若者にソッポを向かれた納得の理由」という記事で、リベラル勢力が若者から見放された構造について語ったことがある。

 護憲を掲げる左派が「憲法を一字たりとも変えさせない」と唱えることで、現実の変化に背を向ける存在になり、変化を求める若者から愛想を尽かされたという趣旨だ。守ることが自己目的化し、自分たちでは何も決められず、本来であれば社会変化を求めるべき左派が「変えないこと」に一生懸命になるという逆転現象が起き、変化を求める若者にそっぽを向かれたと主張した。

 沖縄で起きたことは、基本的にこの構造と同じだ。「反基地」イデオロギーで変化を拒み、いつまでも現状維持を続ける。その結果、沖縄内の問題は放置され続けて、変化を求める若者にそっぽを向かれ始めたのである。

 ただし、前回はあくまで立憲民主党(中道改革連合)を中心とする話であったが、今回は共産党が中心である。どちらの革新のあり方も、徐々に時代についていけなくなっているのである。

 このように護憲と反基地は、今年、よく似た経路をたどっている。異なるのは、沖縄には貧困という具体的な生活の争点があり、若者が拒絶にとどまらず、経済という明確な代替をつかんだ点だ。

 沖縄の知事選は、基地という固有の主題をめぐる地方選挙に見えて、その実、「守る政治」と「変える政治」という全国的な断層の、最も先鋭な現れである。

 若者は過激さを求めているのではない。現実から逃げず、暮らしの課題に向き合う政治を求めている。その希求に応えられるかどうかを、今回の沖縄県知事選挙がいち早く突きつけたのである。

(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)