古謝氏自身も日米地位協定の改定を掲げています。この点は重要です。今回の結果を「辺野古容認候補が勝った。したがって沖縄県民は基地問題を克服した」と理解するなら、沖縄社会を読み誤ります。

 日米地位協定で重要なのは、単なる抽象的な主権論ではありません。事件・事故が発生したときに、日本側がどこまで実効的な捜査権を行使できるのか、環境汚染が疑われる場合に基地内へどこまで立ち入れるのか。

 例えば2004年、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した際には、事故直後、墜落現場周辺を米軍が管理し、沖縄県警による現場検証が行われたのは事故から数日後でした。米軍はそれに先立って機体の撤去も始めています。

 この事故を契機に日米間で事故現場の共同統制ルールが整備され、その後も運用改善が図られていますが、2016年に名護市安部沖でオスプレイが事故を起こした際には、米軍が事故現場近くの浜に単独で規制線を設け、機体の残骸を回収しました。

 第11管区海上保安本部は米側に捜査協力を求めましたが、回答がないまま機体の解体・回収が進みました。その後も米側は、乗員への聴取や証拠物の提供要請に応じませんでした。

 これらの事例が示すように、日米地位協定をめぐる問題は、米軍の運用と地域住民の生活をどう調整するのかという、日常生活に直結した問題です。だからこそ、若い世代にも地位協定改定を求める声が根強いのです。

「基地容認か反基地か」という
古い二分法より重要なこと

 私は、今回の選挙で起きたことを、「基地問題から経済問題へ争点が完全に移った」とは考えません。より正確には、沖縄県民が「基地問題だけで県政を選ぶ時代」から、「基地、経済、所得、教育、安全保障、地位協定などをそれぞれ切り分け、それらを組み合わせて判断する時代」に入ったのだと思います。

 これは沖縄の「正常化」という言葉だけでも説明できません。

 沖縄には現在も全国の米軍専用施設の大きな割合が集中しています。その構造が消えたわけではありません。歴史的な記憶も消えていません。しかし、若い世代はその現実を抱えながら、同時に自分たちの生活をどうよくするかという問題を考えています。

 その姿を、外部の人間が「基地問題への関心が薄れた」と理解してしまうと、本質を見失います。

「我慢」というのは、現状を肯定することではありません。すぐには変えられない現実を受け止めながら、何を変えられるのかを考え続けることです。今回の選挙結果には、そのような沖縄社会の現実主義が表れていると私は見ています。

 したがって、今後の沖縄政治を見る上で重要なのは、「基地容認か反基地か」という古い二分法ではありません。「辺野古」「米軍基地の存在」「日米地位協定」「日米同盟」「自衛隊配備」「沖縄への基地負担の集中」「所得と生活」を有権者がそれぞれどのように組み合わせて判断するかを見ることです。

 ここを丁寧に見なければ、特に若い沖縄県民の政治意識を理解することはできないと思います。