一つの可能性として考えられるのが、姫路殿の待遇が変化したことです。

 当時、秀吉の妻たちは、独立した御殿を与えられることで、その地位を示していました。しかし大坂城では、寧々が女主人として君臨しており、姫路殿には、独立した御殿が与えられなかった可能性があるのです。

 つまり、織田家出身の女性としての面子を考えれば、「妻としての待遇を失った」ことが、離縁の背景だったのではないか、という見方もできるのです。

 その後の姫路殿は、非常に長生きし、寛永18年(1641)まで生きたとされています。

姫路城(兵庫県姫路市)Photo:PIXTA姫路城(兵庫県姫路市) Photo:PIXTA
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秀吉が最も愛した女性?「京極竜子」

 秀吉の妻たちのなかでも、とりわけ重要なのが京極竜子です。

 父は名門・京極高吉、母は浅井久政の娘・マリア。つまり、浅井長政の姪にあたる女性です。竜子は、もともと武田元明に嫁いでいましたが、本能寺の変の際に夫が明智光秀に味方したとされ、秀吉によって処刑されてしまいました。その後、竜子は秀吉の保護を受け、やがて秀吉の妻となります。そして彼女の存在が、兄・京極高次の運命を変えるのです。

 高次は、本能寺の変で光秀側につき、さらに柴田勝家のもとへ逃げていました。そのため秀吉からすれば、敵側の武将です。ところが、北ノ庄城落城の後、竜子が兄の助命を願うと、なんと秀吉は、これをあっさり許してしまったのです。高次は、その後、大津6万石の大名にまで出世します。

 そのため高次は、妻の力で出世した、「蛍大名」などとも呼ばれています。

 竜子自身も秀吉から非常に厚遇され、大坂城西の丸、伏見城の松の丸など、各地で独立した御殿を与えられていて、秀吉の小田原征伐や名護屋城にも同行しており、秀吉が常に身近に置きたがっていたことがうかがえます。