そうすると、仮に上司とはあまり気が合わないのは事実であり、同僚のほうが上司から気に入られている感じがするとしても、その同僚のほうが自分よりも成果を出していることに気づいたり、自分は文句を言うほどの成果を出していないことに気づいたりする。

 あるいは、成果がはっきりと目に見えるような仕事ではない場合も、自分は実力を発揮すべく本気で頑張っているか、仕事力を高めるべく日頃から自己研鑽に努めているかなど、自分自身の仕事への取り組み姿勢を振り返ってみることで、自分の仕事に対する姿勢に真剣さが足りないことに気づいたり、同僚のほうが自分よりはるかに自己研鑽に励んでいることに気づいたりする。

「自分は運が悪い」と嘆いている場合も、その思いが妥当かどうかをチェックすることで、運が悪いというよりも努力が足りないことに気づいたり、上司に嫌われていると思っている場合も、上司が性格的に淡々としているだけで、とくに嫌われていると確証できるような証拠もないことに気づいたりする。

原因を「周り」に求める前に
自分自身を振り返る

 自分が思うような成果が出せず、納得のいく生活になっていないのは、「社会が悪いからだ」と思っている場合も、さまざまな同僚や友人のことを思い浮かべてみると、成果を出している人もいたり、満足げに暮らしている人もいたりするのではないか。

『被害者意識が強すぎる人たち』書影『被害者意識が強すぎる人たち』(榎本博明、祥伝社)

 同じ社会に暮らしているのに、成果を出している人もいるし、納得のいく生活になっている人もいる。そうなると自分が成果を出せなかったり納得のいく生活になっていないのは、社会が悪いせいではなく、自分の心構えとか仕事への取り組み姿勢、あるいは対人関係のスタイルや日頃の頭の使い方とかに改善の余地があるのではないか、と気づいたりする。

 先輩は自分に対しては距離のある接し方をするのに、ほかの人にはもっとざっくばらんにしゃべっているし、「自分は嫌われ遠ざけられている」と思っている場合も、これまでの自分の生活史を振り返ってみることで、自分は人に対して遠慮しすぎたり、緊張してざっくばらんな接し方ができないのに、同僚は相手が先輩でも自ら冗談を言ったりからかったりして談笑していることがわかり、先輩が自分に対して距離のある接し方をするのはこっちのせいではないか、こっちが緊張してぎこちなくなるため向こうも距離を縮めにくいのかもしれない、と気づいたりする。

 このように、自分自身の「報われていない」といった思いを疑ってみることで、自分の中に潜む被害者意識を和らげることができる。