去年の夏のある日のこと。そのとき、僕は友人と約束をしていた。でも、家を出る時間が20分ほど遅れた。急がなくては。北千住の駅でJRから千代田線に乗り換える。構内を早足で歩く。千代田線へのホームへと繋がる階段を上りかけたそのときに、後ろからふいに、「ちょっといいですか」と声をかけられた。
立ち止まって振り返れば、防弾チョッキに身を包んだ若い警察官が立っている。
「洞爺湖サミットも近いので、お荷物の中身を見せてもらえますか」
言いながら警察官の視線は、僕の顔ではなく、背中に担いだデイパックに注がれている。つまり職務質問だ。
「なぜ洞爺湖なんですか?」
「サミットです」
それくらいはわかる。そうではなくて、なせ洞爺湖サミット警戒のために、あなたは北千住で僕に職務質問をしなければならないのですか。そう訊こうと思ったけれど、時間がないのでやめた。20分遅れているのだ。これ以上は絶対に遅れられない。
「これは任意ですか? 強制ですか?」
「任意です」
警察官は即答した。まあ当たり前だ。現行犯逮捕か逮捕令状を持たないかぎり、彼ら警察官が市民の自由や時間を強制的に奪う権利などない。
「ならば拒否します」
そう言って僕は再び歩き出した。急がなくちゃ。遅れはこれで25分になったかもしれない。
そもそも僕は(たぶん)人相があまり良くない。平日の昼間にジーンズやパーカー姿で街をうろうろ歩いている。ノートパソコンや資料などいろいろ持ち歩くので、特大のデイパックをいつも背負っている。おまけに年甲斐もなく長髪だ。もしも職務質問のマル秘マニュアルがあるなら、標的としての該当項目に、これらの特徴はすべて当てはまるだろう(と思う。本当のところはよくわからないけれど)。
だから職務質問はよく受ける。いつもはこの「任意ですか? 強制ですか?」でやりすごす。黙殺して歩き過ぎたっていいはずだと内心では思っているけれど、そこまで彼らを敵視する理由もない。彼らは彼らなりに懸命なのだから、できるかぎりの協力はしたい。でも、“できるかぎり”だ。
「なにかやましいことが
あるんですか?」
10メートルほどを早足で歩いたとき、いきなり視界に何かが飛び込んできて、前に立ちふさがった。さっきの警察官だ。僕は足を止めた。同じように千代田線ホームへと急いで歩いていた人たちが、驚いたように振り返りながら歩き去ってゆく。
「バッグの中を見せてください」