「これは批評家に限らずではありますが」と断った上で、若手批評家の田中二郎さん(仮名、30代)が言う。

「もの書き業は全般に、文のプロレタリアートです」

 身も蓋もないが、そういう側面は否めない。にもかかわらず、批評の世界だけはクビを傾げたくなる現象も起きている。

「どういう訳か、なりたい人はたくさんいるんですよ」

 養成講座を開くと、たちまち数十人の若者が押し寄せる。マーケット的に言えば、需要はないのに供給ばかりが増えている状況だ。

「なんか、ヘンですね」

「そうなんです」

ネットのおかげで門戸は広がったが…
デビューしても批評だけじゃ食えない!

 考えられる理由の1つは、デビューする手段の多様化だろう。批評家になるにはかつて、2つの方法しかなかった。

「1つは文芸誌や論壇誌などの新人賞に応募すること。それと、もう1つはコネですね」

「コネ?」

「出版社でアルバイトをするんですよ。僕のまわりは、そういう人多いです。批評というよりも、ライター仕事ですね。テープ起こしとか、インタビュアーみたいなことをしているうちに、編集者と知り合いになって、『おお、お前、文章書けるじゃないか!』と気づいてもらい、そのうち何か書かせてもらう。基本的にはこの2つしかなかったんです」

 ところが、21世紀に入り、もう1つの選択肢があらわれた。インターネットのブログや掲示板、有力な若手評論家の発行するメールマガジンなどで批評を書き、それが編集者の目に留まり、デビューへと至るケースが増えてきたのだ。

「ツイッターでリプライしておもしろいことを書いたら、『君、書いてみない?』と声をかけられることもありますからね」

「ある意味、健全になったということでしょうか?」

「健全は健全ですね。コネがなくてもおもしろいものを書けば、デビューできるわけですから」

 ただし、問題はそこからだ。

「デビューしても、文筆だけで食えるのは一握りでしょう。どの世界も同じだと思いますけれど、デビューするのは簡単でも、続けていくのは難しいんです」