全く売れないのに、録音を続けた
ブルーノート・レコード

 アルフレッド・ライオンは、ベルリン生まれのドイツ人でした。1937年にニューヨークに移住します。ライオンは根っからのジャズ愛好家で、趣味が高じてレコード会社まで作ってしまったのです。それがブルーノート・レコードです。78回転のSP盤の時代に産声を上げました。ライオンは以後、ブルーノートのプロデューサーとして幾多の名盤を手がけていきます。

 そしてセロニアス・モンクは、ロレインの強力な推薦があって、1947年10月15日に初めて録音します。この時、出来上がったのは4曲。ライオンは、モンクの才能に感服します。いかに愛妻の懇願だったとしても、ライオン自身が納得しなければ二度と録音の機会は与えられなかったでしょう。しかし、ライオンこそモンクを「発見」するのです。

 この後、52年3月まで合計5回の録音セッションを敢行。OKテイクは合計24曲です。今週の音盤「ラウンド・ミッドナイト」は1947年11月21日に録音され、当時10インチLPとして発表されました。しかし、全く売れませんでした。

 モンクの音楽が時代の遥か先を行っていた、と言うのは容易いのですが、レコード会社もビジネスです。商業的に成り立たなければ、如何に素晴らしい音楽でも続ける訳にはいきません。ところが、アルフレッド・ライオンは録音を続けました。

 そして30cmLPの時代が到来すると、この24曲をブルーノート1500番台の嚆矢として「ジーニアス・オブ・モダーン・ミュージック第1集」及び「同第2集」として発表するのです。今や、モダンジャズの聖典です。

そして、マイルスとモンクの邂逅

「ラウンド・ミッドナイト」は人知れず忘れられていました。いや、忘れられる対象になるほどにも人々に憶えられていた訳ではない、と言った方が正確かもしれません。

 しかし、マイルス・デイビスがセロニアス・モンクを「発見」します。

 それは、1954年のクリスマスイヴ。場所はニュージャージー州のハッケンサックにある録音スタジオ。マイルスとモンクは4曲で共演します。その模様は「バグズ・グルーヴ」(写真)に収められています。その恐るべき緊張感は、聴けば、何故だか分かるはずです。

 その2年後、マイルスは初めてモンク作の「ラウンド・ミッドナイト」を録音します。確実に習得するのに時間がかかったと述懐しています。まずプレスティッジ盤の「モダン・ジャズ・ジャイアンツ」(写真)に収録されています。そして、上述の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」へと昇華します。57年のことです。