危機的状況でも権力闘争

 以上のようないきさつがあったから、私は大西康之著『会社が消えた日――三洋電機10万人のそれから』(日経BP社)を目にしたとき、無性に読みたくなったのだ。

 しかし、消えてしまう運命となった会社である以上、どろどろした何かは絶対あるはずだと思っていた私は、この本を読む前にそれなりの心構えをしていた。だが、同書を読むに連れて、そこに信じられない事実がこれでもか、これでもかと出てくるのを見て、思わずため息を何度も漏らした。

 一例をあげると、三洋電機はまだ携帯電話大手だったノキアと合弁会社を作って、携帯電話事業を発展させようとしていたが、意思決定の先送りばかりを繰り返す三洋電機に見切りをつけたノキアはその話を拒否した。四面楚歌の窮地に陥った三洋電機のためと思って、当時、野中ともよ会長は二次電池などでインドとのビジネスに力を入れていた。しかし、銀行など金融系出身の重役と対立関係にいたため、コンサルタントを金融系に頼めなかった。そのため、コンサルタント会社のパートナーでもある自分の夫に支援を頼んだ。脇が甘いと言えば、その通りだが、窮余の策という一面もあったのは事実だろうと思う。

 しかし、なんと三洋電機法務部の一社員がインド現地法人の社員に、野中会長夫婦を監視する写真の撮影を頼んだ。それはやがて2006年11月の週刊文春の「野中ともよ三洋電機会長『赤字500億円』でもインド視察に夫同伴」と題するスキャンダル記事の証拠となった。

「一介の社員が会長を追いおとすためにここまでやるとは思えない」と同書が指摘したように、危機的な状態に瀕しているにもかかわらず、三洋電機社内はまだ権力闘争や派閥争いに明け暮れていた一端を覗かせている。