リーガルマインドは知識ではなく「センス」
法律の本などを見ると、「リーガルマインドを身につける重要性」が書かれています。かつては私自身、法律の勉強をしていても、このリーガルマインドというものが一体どんなものであるのかイメージできませんでした。法律の知識を積み重ねることと、リーガルマインドを身につけることとの区別がよく実感できなかったのです。
ところが、そのとき、その違いがわかったような気がしました。誤解をおそれずいうと、リーガルマインドは「知識ではなくセンス」なのです。これまで学んだことがある法律に関することであれば、条文や判例の知識でなんとか乗り切れるかもしれません。しかし、関係する法律の条文や判例が思い浮かばないような場合も大きく外れることのない解決策を思い浮かべられるようなセンスがリーガルマインドの本質ではないかと感じたのです。
「おそらくこんな条文があるだろう……」「誰もがこの条文はこんな風に解釈するだろう……」、知識として得られていない法律についても、そう思い浮かべられるセンスです。
よく「あの人は法律的なセンスがある」などといいます。初めから法律の素養があるような意味でいうものですが、センスは生まれながらのものではなく、獲得するものです。私自身が経験してきたように、センスは論理的に法律を読み解く経験を通じて磨かれ、高められていくのです。そして、そのセンスが不動のものとなったとき、人は「リーガルマインドが身についた」というのでしょう。
リーガルマインドが身につけば、ものごとを筋道立てて考えることができるようになります。多くの人に受け入れられる形でトラブルの解決策を示すこともできます。未知の法律についても、すぐにその本質を見抜くことができるようになるでしょう。
こうなれば法律を読むことも、仕事も楽しくなります。これまでバラバラに覚えていた知識が自分の頭のなかでひとつになり、自分の考え方を上手に伝えたり、また、相手の考えることを先回りして議論することも少しはできるようになりました。こうしたことは自分にとって初めての経験でした。しかも、いいことに、知識は忘れてしまえばそれまでですが、この感覚というものは一度つかんでしまえば失われることがないのです。
この感覚は「本を書くこと」や「講演」といった今の仕事にも生かすことができています。大げさにいえば、「自分の考え方を上手に伝えることができる」、「相手の考え方を理解できる」といった自信にもつながり、人生を切り開くための大きな武器になってくれたように思うのです。