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東日本大震災の大津波で、津波の直撃を受けて壊れた石巻市立大川小学校の校舎について、同小の卒業生5人が4月6日、思いを発表した。5人はそれぞれ、「自分たちの大切な居場所である母校を失いたくない」「大川小学校で起きたことをこれからも伝え続けていきたい」などと訴え、校舎保存のための活動をしていきたいと話す子もいた。
大川小は2011年3月11日の地震発生後、全校生徒が校庭に50分間待機。保護者等に引き取られた児童以外は、逃げ遅れて津波に飲まれた。山に打ち上げられるなどして児童4人と教職員1人が助かったものの、教職員10人を含む、全84人が死亡・行方不明となっている。
“震災遺構”にまつわる動きとして紹介されることが多いこの話題だが、今回はこうした意見表明会が開催されるに至った背景を紹介したい。
「大人に思っていることを聞いてもらえない」
そんな子どもたちに起きた“変化”
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「大川小学校の卒業生たちと話してみたら、“校舎を遺したい”と言っている。高校受験が終わったら、改めて思いをちゃんと聞く場を設けようと思うのだけど……」
今年の1月下旬。NPOここねっと発達支援センターの佐藤秀明理事長が、大川地区の子どもたちの“変化”について、驚いた様子でこう話してくれたことがあった。
ここねっとは、大川小学校の子どもたちを取り巻く状況に直接向き合ってきた支援団体だ。東日本大震災後、宮城県内で学習支援や子どもの心理支援を行っていた保育心理士らと共に、同NPO内に「緊急子どもサポートチーム」を立ち上げ、高校受験を迎える大川地区の卒業生たちに対して、学習支援を行ってきた。
佐藤さんやスタッフは、大川地区の子どもたちを取り巻く状況に危機感を募らせてきた。
「周囲の大人からの影響が大きく、様々な思いを抱えている大川の子どもが、自分で、“こう思っている”と聞いてもらえる環境が、日常に失われているのではないかと感じています」
佐藤さんは、東日本大震災から3度目の3月11日が近づいてきた頃から、県内各地の家庭から、緊急的な支援要請が寄せられることが増えた。
「大川に限らず、県内には、仮設暮らしが長引き、生活もままならないまま、気持ちのバランスが取り戻せずに苦しんでいる保護者がいます。学校の先生だって大変です。大人たちが子どもの気持ちを聞いてあげるどころではない場合、子どもたちがストレスをまともに受けてしまう」(佐藤さん)