経営 X 人事
中原淳の学びは現場にあり!
【第9回】 2015年7月8日
著者・コラム紹介 バックナンバー
中原 淳 [東京大学大学総合教育研究センター准教授],井上佐保子

「もう一度、社会に戻って働きたい」
農業での再出発・再挑戦を支援する畑の学び

自己肯定感が最も大切

 農スクールは、農作業を通して農業に関する知識や経験を提供する場ですが、就職するうえで一番大切なのは、自己肯定感だと言います。

 「農作業を通して心を開き、この場を居場所にしてもらうのはいいのですが、最終的には就職し、ここから出ていかなくてはなりません。その時に自分の中に自信や温かさがあれば、精神的に他人に依存せずに自立できます。心理的居場所は最終的には『自分』。だからこそ、自分としっかり向き合い、自分を認めることによる自己肯定感が大切なんです」

 参加者の中には、自己肯定感を脅かされる人生を送ってきた人が多いそうです。「以前、農家さんから『おまえなんかいらない』などと言われ、来なくなってしまった人がいました。『この世にいらない人はいない。雑草だって1本1本意味があってそこに生えている。世界中の人からいらないと言われても、俺が俺を必要としてる、って言えばいい』と話したら、『生まれて初めてそんなふうに言われた』と大泣きされてしまいました」

 一方、就職先の農家の方々には、人情の厚い人が多い反面、家族経営が中心のためか、従業員にもつい自分の子どもに接するように乱暴な口調で接してしまう、といった面もあるようで、「『今の時代、会社では上司が新入社員に気を使って、怒らず優しく諭す時代らしいですよ』なんてやんわり伝えるんです」と苦笑します。

失敗した人にもチャンスを

 事業を始めてみたら、貧困、失業、ホームレス、生活保護など次々と重い課題を突きつけられ、「日本ってこんな国だったんだっけ?これはパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない……」と、衝撃を受けることばかりだったという小島さんですが、「私はお米のつくり方は教えることができるけど、おにぎりをあげることはできません。農スクールは全ての人を自立までお手伝いする事業ではありません。でも、本気で立ち上がろうとしているのに、その方法がわからないだけでチャンスを奪われる、というのは嫌なんです。それに人手があれば農家も助かるのに、もったいないな、って。だから、本気で立ち上がりたい人の背中を少し押してあげるような事業だと思っています」

 そして、何よりも人が変わっていくところが見られるのが嬉しい、と言います。「何がきっかけで変わっていくのかは人それぞれでわかりません。ただ、普通の人より変わるのが難しい環境の人なので、投げるボールをいっぱい用意しておいて、どれかが的に当たるかもしれない、と思ってやっています」 

 たとえば農スクールでは、高校を卒業してからまだ一度も社会に出て働いたことがない20代前半の男性が働いています。ひとつのことをとことん完璧にやろうとするあまり急かされるのが苦手で、周囲と馴染めないと感じていた男性。そんな彼も2014年から農スクールに通い始めてからは、農作業の楽しさにはまり、頑張って働き続けているといいます。

 「とにかく真面目なんですね。スタート時間より1時間も早くやってきてスタンバイしているし、作業でも手抜きをしない。大きな身体をまるめ、何時間も黙々と雑草を抜いています」。

 見学にやってきた農家がこの姿を見て感動し、うちで働かないかとスカウトしてきたときは、自分のことのように誇らしく、嬉しさがこみあげてきた、と小島さんは振り返ります。

 一口に元ホームレスやニートと言っても、その境遇も、抱える問題も千差万別です。中には想像を絶するほど重く辛い過去を持つ参加者もいます。それでも「もう一度働きたい」と参加者たちがここで再生・再挑戦のための一歩を踏み出そうとするのは、小島さんの粘り強い熱意と共に、大地にしっかり根を張って力強く育つ畑が持つ生命力にあるのかもしれません。

経営 X 人事 特集TOPに戻る

 

中原 淳[東京大学大学総合教育研究センター准教授]

東京大学 大学総合教育研究センター准教授。著書に『職場学習論』『経営学習論』『活躍する組織人の探究』『研修開発入門』『駆け出しマネジャーの成長論』など多数。企業における人材開発の実証的研究をすすめるかたわら、さまざまな研修・ワークショップなどを開発・評価。近年では、新任マネジャー向けワークショップ「マネジメントディスカバリー」、人材開発担当者向けワークショップ「研修開発ラボ」などを開発。Blog: http://www.nakahara-lab.net/blog/、Twitter ID: nakaharajun

 

 

井上佐保子(いのうえ・さおこ)

1972年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。通信社、出版社勤務を経て、2006年にフリーランスライターとして独立。企業の人材育成、人材マネジメント、キャリアなどをテーマとして、企業事例、インタビュー記事などを執筆。人事・人材育成分野の書籍ライティングも手がけている。


中原淳の学びは現場にあり!

このコーナーでは、毎回、“学びに満ちた仕事の現場”を訪問し、WorkplaceLearning(職場の学び)の観点から、検証していきます。日頃はあまり目にすることのないさまざまな職種の「現場」。そこでは、どのような仕事がなされ、人はどのようにして知識やスキルを学び、育っているのでしょうか。企業の人材育成では見落とされがちな「学びのスイッチ」を掘り当てます。

「中原淳の学びは現場にあり!」

⇒バックナンバー一覧