背が高くてハンサムでも深く考える力のない人と見た目はバッとしないけれど頭脳明晰な人。今の時代、社長としてふさわしいのは…

 近く引退を考えているという、あるオーナー社長から、後継者選びについてこんな相談を受けた。

「背が高くてハンサムで、演説も上手いのだけども、実は深く考える力のないAさん。見映えはパッとしないし、しゃべりも上手くはないけれど、頭脳明晰で決断力のあるBさん。果たしてどちらを社長にするべきだろうか」

 また別の企業からは、「役員の選定基準に『容姿端麗』と明示するのは、コンプライアンス的に問題があるだろうか?」と冗談半分、真面目半分に相談されたこともある。

 いよいよ日本でも、「見映えがいいこと」が偉くなる人の要件になる時代になってきたのだろうか。

ケネディは「見映えの良さ」で大統領に選ばれた?

 偉い人の「見映え」がいかに重要かを最初に知らしめたのは、1960年のアメリカの大統領選だった。当時候補者だったケネディとニクソンがディベートを行い、テレビとラジオで生放送された。4回行われた討論のうち、8000万人もの人が見たという1回目の討論では、TVで見た人はケネディを優勢と判断し、ラジオを聞いていた人たちはニクソンが勝ったと思った(ただしラジオの聴取者はテレビに比べ大変少なかった)。テレビとラジオで違うのは、視覚情報のみである。つまり、二人の見映えが視聴者の心証に大きく影響したということだ。そして、この(TVでの)勝利をきっかけにケネディは大統領への道を進み始めることになる。

 その後アメリカの大統領選挙では、テレビ討論がとても重要なものとなった。そして、「背が高くてステキ」な人物が大統領に選ばれるようになった。これは、「見映え」の効果を証明したと言えるだろう。オバマ大統領は185センチ、クリントン元大統領は188センチ、少し古いがレーガン大統領も185センチ。彼らはとても「見映えがいい大統領」の典型例だ。発言や政治力についてはいろんな意見があるだろうから、ここでは言及しない(ちなみにアメリカ人男性平均身長は約177センチ)。