「アイデア」だけではゼロイチは生まれない
アイデアだけでは、ゼロイチはできない──。
これが現実です。素晴らしいアイデアがあっても、そのアイデアの大きさに相応する「影響力」が伴わなければ、それを実現することはできません。「こんなによいアイデアなのに、会社はわかってくれない。だから我が社はダメなんだ」などと言ってみたところで、自分にも会社にも何ひとつよい影響はないのです。
それに、よく観察してみると、これまで生み出されてきたゼロイチは、すべて「影響力×アイデア」のふたつがバランスしているということに気づかされます。
たとえば、トヨタのプリウス。あのゼロイチは、現場にきわめて優秀なエンジニアがいたからできたことですが、同時に、プロジェクトのトップに和田明広副社長(当時)という政治力のある人物がいたことが大きいと思います。
開発当時、ハイブリッド技術の活用には現場のエンジニアすら慎重でした。つまり、”のるかそるか”が誰にもわからない賭けでもあったわけです。そのようなプロジェクトにあれだけの投資を行うことに対して、社内的なプレッシャーがなかったはずがありません。そのプレッシャーと対峙しながらプロジェクトを進めるだけの政治力がなければ、プリウスを完成させることすら難しかったでしょう。
茶道の創始者と言われる、わび茶を完成させた千利休も同じでしょう。彼は60歳までは先人の作法を受け継いでいたのですが、政治的な影響力をもった60代にゼロイチを推し進め、わずか10年足らずでわび茶を完成させてしまったと言われています。影響力が伴わないときに茶道の改革を始めても、きっと成功しなかったに違いありません。
もちろん、僕が逆立ちをしても、和田副社長や千利休のような存在になることはできません。だけど、せめて、プロジェクトの方向性をコントロールできる「影響力」を手にしなければ、自分が信じるゼロイチを成し遂げることはできない……。
そう考えた僕は、F1の次に、マネジメントにチャレンジすることにしました。日本への帰任時に、「Z」と呼ばれる部門への異動を申し出たのです。
「Z」とは、量販車の製品企画部門。エンジン、ブレーキ、サスペンションなど多岐にわたる専門部署を統括して、プロジェクト全体をマネジメントしていく司令塔です。そこで、僕は、「Z」のトップを務めるチーフエンジニアを補佐する立場で、既存の量販車のモデル・チェンジをマネジメントしていくことになったのです。いわば、トヨタの開発部門の保守本流の部署です。
ところが、これがきつかった。当時の僕の肩書は係長級。にもかかわらず、自分の2階級上にあたる、各部署の部長級と対等に交渉しろ、と言われていました。コミュニケーションが苦手な僕にとっては、それだけでも高いハードルでした。しかも、僕には量販車の経験がありませんから、仕事上必要な知識がほとんどありません。”わかってない若造”にマネジメントされて面白い人はいませんから、僕は四面楚歌のような状況に陥ってしまったのです。
これは、完全に僕の力不足。そもそも自分の実力を考えると「Z」に行くのはとても怖いことでしたが、予想どおり、いや予想以上のつらさだったわけです。精神的に追い詰められ、ややウツのような症状が出るほどの毎日でした。それでも、なんとか踏ん張っているうちに、量販車の知識を蓄え、多様な関係者を巻き込みながらプロジェクトを進めていくコツのようなものを、少しずつ身につけていくことができました。そして、マネジメントの面白さも実感できるようになったのです。