「生産関数」から考える
AIへの期待と不安
囲碁の世界トップ棋士の一人である韓国のイ・セドル九段が、グーグル傘下の会社によるコンピューター・プログラム「Alpha Go」に敗れたことのインパクトが大きかったように思われるが、AIの発達によって、今後経済的に何が起こるのかに関心が集まっている。
しばしば聞くのは、「AIやロボットの発達による人間との競争で、将来、栄える職業と、廃れる職業はどのようなものでしょうか?」といった問いだ。
実際に将来起こることは意外の連続なのだろうが、少し理屈を考えてみよう。
筆者は、今、40年ぶりに学生時代に習ったことを思い出しているのだが、経済学の世界には生産関数という枠組みがあった。投入される財(概念的には原材料・労働・資本などを含む)の組み合わせに対して、産出される財・サービスなどが対応する対応関係を関数の概念で表すものだ。
うろ覚えで恐縮だが、確か、マクロ経済の世界ではY=f(N,K)といった形で表されるような生産関数を見た。Yは国民所得、Nは労働、Kは資本だ。現実に合っていないが、モデルの都合上よく使われるのは、労働と資本の投入を共に2倍にすると、生産量も2倍になるような便利な関数だった。ついでに、もう少し思い出すと、当時の偉い先生の深遠な教えによると「K」をどのように計測するのか、それは妥当なのか、という問題が大変重要なのだった。
どのような職種を典型と考えるのがいいかは難しいが、例えば、自動運転サービスとタクシー業の状況を考えてみる。タクシーサービスならY=f(N,K)は、Yがタクシーサービスの供給量、Nはタクシー会社の従業員数で主にタクシードライバーの数、Kはタクシー会社の設備だから自動車とタクシーを管理するシステムなどに相当する。
さて、ある識者は、自動運転が発達すると「人間が運転する車が公道を走るなんて、危険で非常識だと言われる時代が遠からず来る」と言う。そこまで、自動運転技術が発達するとどうなるだろうか。