今回のコラムを書こうと思い立ったその日に、テレビ番組で『ヴィーナスの誕生』という絵画が紹介されていた。ルネッサンス期のボッティチェリの作として有名なものだ。
大きな貝殻の上に立つヴィーナスが、右手で自らの乳房を抱え、左手で髪とともに下半身を隠すという構図を紹介すれば、「ああ、あの絵のことか」と誰もが思い描いてくれるだろう。ハイビジョン放送のおかげで、イタリアのフィレンツェまで足を運ばなくとも、500年以上も前に描かれた女神像を鑑賞することができる。
ただし、筆者は残念ながら美術への造詣が深くないので、この絵に描かれているヴィーナスを、「さすが、べっぴんの女神さまだ」と思うほどの美意識を持ち合わせていない。彼女の首は太くて長いし、顔の傾げかたが右へ妙に折れ曲がっているし──。
それが意図された構図だと説明されても、わからないものはわからない。芸術というのは、虎の皮ならぬ「死して残された名」が世に広く知られることによって、作品の価値もまた高められるものなのだろう、と考えている。
『ヴィーナスの誕生』を見ていて連想したのが、「面々の楊貴妃」という諺(ことわざ)だ。『大辞泉』によれば「各人はそれぞれ自分の妻を、中国の楊貴妃のような美人であると思っていること」とある。妻が世に広く知られていなくても、夫が満足していれば価値があるということなのだろう。
易きに流された「投下資本利益率ROI」の危うさ
ヴィーナスにしても楊貴妃にしても妻にしても、彼女らを美人と思い込むのは、世のオトコどもの勝手である。ところが先日、某上場企業の業績説明会に参加した際、壇上にいた経営者が、ある経営指標を得々と語っていたのには、勝手と片づけるにはすまされないほどの違和感を覚えた。
その指標とは、ROI(Return On Investment)またはROIC(Return On Invested Capital)である。通常は「投下資本利益率」と訳す。「投下資本」のところを「投資」と略して「投資利益率」と呼ぶ場合もある。親会社や本社の立場に立って、子会社や事業部へ「投下した資本」について、どれだけの「利益」が生み出されたかを評価するために用いられる指標だ。
ROIを経営指標として採用するのは「面々の楊貴妃」だから、その企業が満足していればそれでいい話である。他人の関知するところではない。しかし、壇上であまりに得意気に説明しているその経営者の姿を見ていて、「かの人物は、管理会計の本質を理解していないのではないだろうか」と不安になってしまった。
近年、ROIを社内の業績評価指標として採用している企業が多いと聞く。マスメディアも煽っているところがある。
はたしてそれは、十分に理解された上でのことなのだろうか。あの企業が採用しているから、わが社も採用する、という「易きに流された」ものにすぎないのではないか。
そこで今回は、ROIという指標を崇める企業やマスメディアの軽挙妄動ぶりを、簡単な例を用いて暴いてみることにしよう。