1200年続く京都の伝統工芸・西陣織の織物(テキスタイル)が、ディオールやシャネル、エルメス、カルティエなど、世界の一流ブランドの店舗で、その内装に使われているのをご存じでしょうか。衰退する西陣織マーケットに危機感を抱き、いち早く海外マーケットの開拓に成功した先駆者。それが西陣織の老舗「細尾」12代目経営者の細尾真孝氏です。その海外マーケット開拓の経緯は、ハーバードのケーススタディーとしても取り上げられるなど、いま世界から注目を集めている元ミュージシャンという異色の経営者。そんな細尾氏の初の著書『日本の美意識で世界初に挑む』が9月15日にダイヤモンド社から発売されました。「失われた30年」そして「コロナ自粛」で閉塞する今の時代に、経営者やビジネスパーソンは何を拠り所にして、どう行動すればいいのでしょうか? 新しい時代を切り開く創造や革新のヒントはどこにあるのか? 同書の発刊を記念してそのエッセンスをお届けします。これからの時代を見通すヒント満載の本連載に、ぜひおつきあいください。好評のバックナンバーはこちらからどうぞ。

「最高の素材で、最高の服」をつくっていたファッションブランドは、なぜ2年で解散したのか?Photo: Adobe Stock

ファッションを軸にした新しいブランドを作ろう

 もともと私は二〇代の頃、プロのミュージシャンとして、「EUTRO」というユニットで活動し、東京のレコード会社からデビューもしていました。

 当時は麻布の「Space Lab YELLOW」や新宿の「LIQUIDROOM」などクラブが全盛期で、私たちも様々なクラブで演奏していました。曲がテレビCMで使われることもありました。

 ところが、全身全霊をかけて音楽に打ち込んでいたのに、仕事のギャラは決して多くはありません。ミュージシャンとしての充実感とは裏腹に、お金の面では、食べていくのも厳しい状態が続いていました。

 そんなときに私が出会ったのが、家業にも通ずるファッションビジネスの世界でした。二〇〇一年のことです。当時はまさに、裏原宿発のストリートファッションの全盛期。藤原ヒロシ氏の「GOODENOUGH」、高橋盾氏の「UNDERCOVER」、NIGO氏の「A BATHING APE」といった若者発のファッションブランドが、世の中に旋風を巻き起こしていました。

 彼らはパンクやヒップホップといったストリートカルチャーを、ハイファッションと融合させた独自のスタイルを作り出して登場しました。原宿の「裏通り」に店舗を構え、絶大な人気を誇っていました。

「ストリート」というメイン・カルチャーの真逆にあるスタイルをハイファッションと融合させ、メイン・カルチャーのルールを塗りかえてしまったそのスタイルに、私も強く憧れていました。

 ファッションを軸にして、自分のやってきた音楽、さらにはアートやデザインを融合させた新しいブランドを作ろう。分野を超えた表現活動を行なうブランドによって、社会へ新しいメッセージを発信していこう。Think Zoneでのイベントに出演した際に、そんなアイデアが閃いたのです。